3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第11話 ラグタイム

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町ではときにけたたましい音楽が家まで聞こえる。

 

 

トラビス・ピッキングを何度も練習しているうちに、徐々に形ができてきた。その頃の僕はたぶん取りつかれたようにこの一見複雑なピッキングを何度も何度も繰り返して自分のものにしようとしていた。

ベース音は間もなくできるようになったが、それに合わせて今度は高い音を同時に弾く。それもリズムに合わせないといけない。いちいち力が入っていたが、徐々に指が自


然に動くようになってきた。指を意識していたのが、だんだん音やリズムを耳で聞いて指がそれについてくるように調節する感じに近い。

 

そうして僕はダニエルの前で妙に力が入ったトラビスピッキングを披露した。

 

「とうとうできるようになってきたな」

 

すると今度はそのピッキングをふんだんに使った曲を僕に弾いて見せた。たぶん曲に名前はない。ダニエルが昔から何となく練習で弾いてきた曲なんだと思う。コードの進行は簡単だが、いろいろなところに少し飾りのテクニックが入っている。ただコードをずんちゃかと弾くのではなく、簡単な前奏があり、コードに合わせてピッキングが進み、途中でクライマックスと言える簡単なソロの飾りが入る。

 

「これはラグタイムというスタイルの音楽だ」

 

僕はラグタイムという言葉は聞いたことがあったが、実際にどんなものかは知らなかった。どうやらベース音を非常に強調して1、2、1、2、と伴奏するスタイルのことらしかった。それにしてもまあ、見事に低音と高音を組み合わせてギター1本で音楽を紡ぎだすもんだ。

 

「シンジにはこれを練習してもらう」

 

そう言いながら、カセットにお手本を録音した。僕とダニエルの間には3つの道具がいつも存在した。1つ目はギター。僕のギターと彼の小さなギター。それからキンバリー社製のノート。そしてカセットテープだ。当時はまだカセットとラジカセで何でも録音するのが主流だった。そして僕は、ダニエルの弾くギターを録音してはアパートに持って帰り、何度も繰り返し聞きながら真似をした。

 

コードを連ねて書くだけでは、思い出せないし、僕らは音符を使わない。だから録音した見本と、コード進行を書いたノートを頼りに後は記憶を巡らせて自分の指に託した。

3週間もすれば、何となく形になった。自分が徐々にギター弾きになりつつあるのがうれしくて仕方なかった。

 

 

 

第10話 3フィンガー

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ホテルのロビーでフラメンコが演奏される(本文と写真は関係ありません。)

「マール・トラビスからすべてが始まっている」

 

ダニエルは僕にフィンガーピッキングを教えるときにあるギタリストの話をし始めた。後にトラビス・ピッキングと呼ばれる奏法を編み出した人だ。

 

僕はその日まで、ダニエルが指で弾く奏法を何度も見て、どうしてそんな風に弾けるのか不思議でしょうがなかった。

 

左手はギアーのネックを持ち、フレットを押さえる。

結局ピアノなら10本でいろいろな弾けるが、ギターの場合音を出す際に弦をはじくのは右手の5本だけだ。

 

それで低音のベース音を親指で弾きながら、メロディーは人差し指から小指までを使って弾く。親指はギターの上部にある4弦目から6弦目をリズミカルに弾いている。

 

「まずは親指で低音を弾く。それだけを練習してきてほしい」

 

ダニエルは完成形の美しい弾き方を僕に聞かせた後、それを各指に分解し始めた。親指が上下にリズミカルに動いた。

 

その次に中指と人差し指の動きを加えるからと僕に課題を出した。

 

「この弾き方の源流はマール・トラビスが弾いた。よくスリー・フィンガーと呼ばれている。これをベースにいろいろなギタリストがアレンジをしたんだ」

 

マール・トラビスは1940年代以降にものすごく活躍したカントリーの歌手だが、他のカントリーの多くの歌手と同じで作曲し、歌い、ギターを弾く。僕はダニエルに会うまでいろいろな音楽のルーツについて知らなかったが、彼は細かく僕に教えてくれた。アメリカの生粋のミュージシャンであるダニエルは、自分もこのカントリー音楽の流れを汲みながら、カントリーブルースを得意とする。そしてアフリカ音楽を融合させた独自の世界を表現した人だ。

 

ゆっくりとその指の動きをまねるが、そんなに簡単にできるものではない。必死に親指をリズムに合わせて動かした。僕が6弦を同時にかき鳴らすコードではなく、指をバラバラに弾く、いわゆるフィンガーピッキングを基礎から習い始めたのは、このレッスンからだ。

 

日本にいて、カントリー音楽に抱いていたイメージは、ただ、退屈で単調な音楽というものでしかなかったが、いざどんなギタリストがいて、いろいろな奏法が編み出されていった歴史を、実演をしてもらいながら聞いていると、わくわくした。それがアフリカにルーツを持つブルースと混ざり、いろいろなバリエーションが出てくる。

 

ダニエルは親も音楽家だし、小さな頃、それこそ10歳も行かない頃にはステージに立っていたというから、まさにそんなアメリカの音楽の流れの中にどっぷりとつかって育ったのだ。僕はそんな人に音楽を習えている自分の幸運さに感謝した。

 

 

 

 

第9話 楽して弦を押さえる

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メキシコで見たジャズ生演奏。キューバ人のバンドによくお目にかかれる。


 

ところでダニエルは、開放弦を使うことを僕に強く勧めた。コードを抑えるときに、左手の人差し指で一列ズバッと押さえ、他の指の抑える位置でコードを構成するやり方をセハというらしい。でもダニエルはできればきれいな音が出るようにセハをそれほど重要視していなかった。もちろん押さえなくてはいけないときもあるが、それはやむを得ずやるという感じだった。

 

そんな風にして、とにかく初心者の僕にダニエルは、最初から指の形が難しかったり、難解な練習は一切与えなかった。それから音符も一回も使わなかった。コードがあって、メロディーがある。それでいいじゃないかというのだ。そういえばもう死んじゃったけどプリンスも音符は読めないみたいなことをどこかで聞いたことがある。まあ、必要としないということかもしれないけど(でもダニエルはしっかり音符は読めるみたいだ)。

 

例えばBm(Bマイナー)というコードがある。

普通にやると左手の人差し指で6弦全部を押さえるコードだが、ダニエルは、大変だからと一番低い5弦と6弦を押さえずに引く方法を最初から僕に教えた。

 

とにかく、こんな風に楽にきれいに鳴る方法を教えてくれたから、僕は挫折することなく練習を続けた。

 

「きれいになった方がいいに決まっているんだ。だからできる限り6弦全部押さえる方法は使わない。開放弦が一番音がいい」

 

とダニエルは僕を甘やかした。いや、というよりは続けられるように、それからきれいに鳴るようにということを重視したのだと思う。

 

僕はこのギターレッスンの1年後日本に帰るが、多くの人が6弦全部を押さえるからという理由でギターを挫折していることを知った。それから多くのギターテクニックのビデオや本で、本当に複雑なコードを難しく押さえることが美徳になっていることを知った。ダニエルに習えばいいのに、みんなと思った。

 

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第8話 ワン・フォー・ファイブ(1・4・5)

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ソン・ハロチョはベラクルスのスタイルだ



「西洋の音楽にはいろんな法則がある。その一つに1・4・5というのがある」

 

そう言いながら、ダニエルは聞き覚えのあるラテン音楽を弾き始めた。

 

「Cが1とすれば、4はF、5はGだ」

 

つまり一つ目のコードがCだから、そこから4番目なので2番目がD、3番目がE、そして4番目がFとなる。それをじゃかじゃか順番に鳴らすだけで、見事にLa Bambaの伴奏になる。

 

「Dから始めるならD、G、Aを繰り返せばいい」

 

たった3つのコードで曲ができるというわけだ。例えばキューバの超有名な曲「Guantanamela(ワンタナメラ)」も同じ1、4、5の順番でコードをひたすら鳴らすだけだ。コードの文字を見ると勝手に指がフレットをおさえられるようになっていた僕は、面白がっていろんなコードを基点に、イチ、ニ、サン、シ、ゴとアルファベットを順に追って行ってはラ・バンバを弾いた。

 

Para bailar la bamba (ラバンバ踊るには)
Para bailar la bamba  (ラバンバ踊るには)
Se necesita una poca de gracia (ちょっと愛嬌がいるだけさ)
Una poca de gracia y otra cosita(ほんの少しの愛嬌と他にもう一つ)
Ay arriba y arriba (よし上を、上を)
Y arriba y arriba, por ti seré (上を君のために目指すんだ)
Por ti seré (君のために)
Por ti seré (君のために)

Yo no soy marinero (水夫じゃないぜ)
Yo no soy marinero, soy capitan (俺は水夫じゃなくて船長だ)
Soy capitan (船長だ)
Soy capitan (船長だ)

 

まあ、歌詞にあまり意味はない。なんだか若い男が必死で背伸びしようとしている様子が分かる。メキシコの港町ベラクルス地方の作者不明の曲だが、まるで現地では国歌みたいであまりに有名だ。

 

たった3つコードを覚えさえすれば、弾き語りは誰でもできる。そして名曲と言われるものほど、コード進行は簡単だったりする。

 

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第7話 Caballo Viejo(カバジョ・ビエホ) 年老いた馬

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 メキシコにいてうれしいことの一つは、道を歩いているだけで家庭や店からラテン音楽が漏れ聞こえることだ。せっかく中南米にいるのだからと、僕はせっせとサルサやクンビア、マリアッチなどの音楽を友達からダビングさせてもらったり、CDショップで購入しては、聞いた。

 その一つをダニエルに聞かせて、ぜひ弾いてみたいとお願いした。すると次のレッスンには、コード進行を解読してくれていた。

 

「あんたもコードを自然に見つけられるようにいずれはなるぜ」

 

と何度も言われたが、僕にはまったく音楽を聴いていてコードが何かを見つけられる気がしなかった。

 

「この曲はコードを3つしか使わない。Cm→G7→Fm、これだけだ。後はシンジ式にラテンのリズムで伴奏すれば歌えるようになる」

 

今のように歌詞を検索すればインターネット上で歌詞がすぐ出てきて、おまけにコードも弾き語り用に表示されるなんて世界は夢にも思わなかった当時のことだ。僕がひたすらやったことは友達にダビングさせてもらった曲をイヤホンで聞いては、歌詞をキンバリー社製のノートに書きだした。コードが変わるタイミングで、歌詞の上にCmなどのコード名をひたすら書いてはギターで弾いてみた。この大切なノートは紙が薄くて裏映りする。

 

ダニエルとのセッションは週2回だったから、僕はその間に課題曲や、出された練習――フレットを1つずつずらして弾いていったり―――を何度も繰り返した。

 

Caballo Viejoはもともとベネズエラの曲のようで、昔から中南米の各国で歌われている。自分の母国語が自国内でしか話されない日本人にとっては不思議なことかもしれないが、スペイン語は17か国で話される。だから多少のなまりはあっても、国境を越えたのに同じ言葉がだいたい通じてしまう。この曲は確かにベネズエラで生まれたかもしれないが、メキシコでもアルゼンチンでも聞いたことがあるし、たぶんそれぞれの国でどこの国の曲かなんて関係なく親しまれている。

 

そしてこの曲はフランスのフラメンコポップスグループのジプシーキングスが「バンボレオ」という曲の導入部分でオマージュとして採用している。

 

僕はスペイン語の授業が終わるとクラスメートのアメリカ人学生たちとオアハカのソカロ(中央広場)でエスプレッソを飲んでおしゃべりし、家に帰るとギターをずっと抱えては、鳴らしていた。

 

そしてカバジョ・ビエホは僕としては最初のスピーディなラテンリズムにのったダンサブルな曲として、ギターを鳴らしながら歌えるようになった。

 

「あんたは日本人だけど、血の中になんかラテンが混ざっているみたいだな」

 

ダニエルは、僕がこの曲を披露すると嬉しそうに言った。

 

 

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第6話 算数みたいに音楽する

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オアハカの市場で買ったギターは少しボディの裏面が膨らんでいる


最初のコードがE(ミ)だとすると、僕の場合、そのまま歌うとサビで必ず声がでなくなるか上ずってひどい声になってしまう。だからコード自体を「C(ド)」まで下げて曲全体を少し低い音でも歌えるようにするのだ。

 

「歌っていて気持ちいいところまで、ずらすといい」

 

そう言われて、僕は算数の計算をするみたいにコードをひたすらずらす練習をノートの上で繰り返した。

 

「俺は音楽が専門だけど、小さい頃から算数や数学は好きだった。音楽も結構数学に近い部分があるんだ」

 

とダニエルは僕に言った。

例えばギターには、「フレット」、要するに節みたいな区切りがついていて、指で押さえる場所によって出る音が決まる。ピアノの鍵盤と同じだが、ギターの場合は黒鍵がないから、どこがドレミか、それとも半音上がったシャープなのか一目だけではわからない。

 

それからC(ド)、C♯(ド♯)、D(レ)、D♯(レ♯)、E(ミ)とフレット1つごとに音が上がっていくが、E♯は存在しない。E(ミ)とF(ファ)の間はフレットが1つ分しかない。同じくB(シ)とC(ド)の間もいわゆる半音がない。

 

コードをトランスポーズする際にはこれを分かっていないとうまくいかない。僕は指を折りながら一所懸命ノートとにらめっこし、コードを書き換えては違和感がないかギターで鳴らして確かめた。今のカラオケならボタン一つ押せば機械が自動でキーを上げたり下げたりしてくれる。でも僕がギターを習い始めた90年代初頭はカラオケは確か鳴り始めた音に合わせて自分が声を上づらせてでも歌うしかなかったように覚えている。

 

僕はとうとう自分流のギターの弾き方で相当にラテンチックなリズムを取れるようになった。そして、歌を一緒に歌えるように何度も何度も練習した。

 

「まずは1曲仕上げるんだ。それで心理的にものすごいステップアップすることになるから」

 

かくして、僕は「Por Ella(ポル・エジャ)」を通して弾き語りできるようになった。基本コードをメジャーとマイナー合わせて14個覚えるのと同時に1曲を仕上げた。偉いスピードでギターの世界への扉を開いたこの曲は僕の記念すべき1曲目のレパートリーになった。ダニエルは僕の覚えが速いことを自分のことのように喜んだ。だめなところを指摘するのではなく、オリジナリティを伸ばすことを最優先し、ほめては目の前で小さなギターで見本を見せた。

 

 

 

 

 

第5話 トランスクリプション

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コード進行の換算をした計算ページ


 

「あれ、真似しようとしてもうまくできないぜ」

 

ダニエルは茶化すように僕の弾き方を真似するが、確かにうまくできないようだ。そしてにやりと笑った。それは僕をこれから育てようとしてくれるにあたって、少しは筋があると見込んだせいかもしれなかった。

 

このギター教室が始まって、これからどうなるのかまったくもって想像できていなかったが、課題曲の「Por Ella」をきっかけにギターに相当にのめり込むことになった。

 

僕はギターと同時にスペイン語も習っていたから、流行している歌で好きな曲は歌詞をしっかり聞くようにしていた。この曲はラブソングだけど、もともとロベルト・カルロスはブラジルの歌手で、詩人に近いスタイルなので歌詞も少しこっている。

 

インターネットがなかった当時、僕は歌詞を必死で聞いては、友達や大家さんの家族に何て言っているかと聞いては、意味を辞書で調べた。1992年のことだ。いまなら、歌手名とタイトルさえ入れればどんな曲でも検索で歌詞が1秒足らずで表示されるのに。

 

Por ella mis aspiraciones y mi fantasía

彼女のせいで 願望や幻想が

Por ella las desolasiones y mi alegría

彼女のせいで 荒廃や喜びが

Suspiros, corazón, pasión, poema y plegaria

ため息、心、情熱、詩、祈り

Y todo lo que no se puede decir con palabras

そして、言葉にできないすべてが

 

たぶんメキシコ人ならもっと直接的な愛の歌になるところを少しひねくれた表現が好きなブラジル人ならではの言葉遣いになっているのだと勝手に解釈していた。

 

そしてなにより、コード(和音)の数が4つと少ないうえ、繰り返しだから初心者にうってつけだったのだ。

 

ダニエルは僕が歌いやすいように、コードを「トランスクリスプション」する方法を教えてくれた。だいたい、歌手の皆さんは声域が広いうえ、声が高い人が多いみたいだ。僕は高い音が出ないし、声域が狭いので、原曲のキーのまま(つまりそのままのコードで)歌える歌はほとんどなかった。

 

だから自分が歌える音になるように全体のコードを下にずらす。これをトランスポーズというらしい。今らカラオケボックスですぐにキーを変更できるが、当時はそんなものなかった。