でもなかなかタクシーは出発する気配を見せない。なんだかさっきのバンと同じパターンだなと思って周りの様子をうかがっていると、運転手以外に4人乗客が集まらない限りいつまででも待ち続けることが分かった。別に客寄せするわけでもなく、のんびりとまたおじさんは若い衆と雑談を始めた。
要するに同じ方向に行く客があと1人足りないのだ。1人の運賃が35ペソ(200円)だから、もう一人乗るか乗らないかは、運転手にとっては死活問題なのだ。僕はこういう待ち時間を節約するために、今までお金を余分に払ってタクシーには1人で乗ってきたのだ。だから文句を言う筋合いは一つもない。
ようやく最後の1人、これもおそらく自分の村に帰る途中であろう中年の女性が乗り込んで、やっと車は出発した。実はそれまで何人かのタクシー運転手が、「100ペソ(600円)でナタレ村まで連れていってやる」と声をかけてきていた。
ひ弱な僕は当初の誓いをさておき、喉が痛いのを言い訳に、よほど高いタクシーに乗ろうか迷っていたのだ。でも断ってよかった。甘い誘惑にのり、楽をするには少し余分なお金がいるだけだ。でも、今回は時間に追われているわけではないし、きっと楽をしたところで何も面白いことは起こらない。
「どこからきたんか」
例によって助手席に陣取った僕に、ぶっきらぼうに話しかけてきたその運転手は、名をロヘリオだと名乗った。口数は少ないが、朴訥な口調でぽつりぽつりと質問を投げかけてくる。どうも彼にとって僕は世にも珍しい外国人の乗客で、いろいろと質問があるらしかった。
「出身は日本だけど、今はメキシコに住んでいます。メキシコシティです。ナタレ村で降りたら、別の乗り合いタクシーで牧場に泊りに行くんです」
ひとまず自分の目的地の途中まで連れて行ってほしいことを伝えた。
「そうかそうか。ところで日本の通貨は何ていうのか」
なぜかロヘリオおじさんは、アクセルをべた踏みしながら、おもむろにお金の話をし始めた。
「円(スペイン語ではジェン)ですけど」
「円はペソに換算するといくらじゃ」
「今はだいたい1ペソが6円です」
「ちゅうことは、ペソのほうが貨幣として強力だっちゅうことか」
「まあ、換算レートで数字だけを比べるとそうなるけど」
為替レートの仕組みを無視し、数字の大小だけで「どっちの貨幣が強いか」を単純に比べるメキシコの年配の方々のお話に、僕はこれまで何度も付き合ってきた。そのたびに市場のバランスで通貨レートは変わるのだと説明しても分かりあえず、結局面倒なのでまったく違う方向に話をそらし、ごまかしてきた。経済の原理をわかりやすく説明できるほど、僕にはスペイン語能力がない。
「ケツァルがペソより強かったことがあるんじゃ」
ロヘリオさんは隣国グアテマラの通貨「ケツァル」の話をし始めた。たとえ1ケツァルあたり2.5ペソだとしても、それが単純に「ペソがケツァルより安い」ということには決してならないのだが、この手の比較が出たら、もう話題を変えたほうがいい。
「グアテマラに行ったことがあるんですね」
「ああ、国境から8キロぐらい入ったところまでだけどね」
しめしめ、何とかグアテマラの話になりそうだと安心したと思ったら、ロヘリオさんは、
「ところで日本円を持ってないかい」
と言い出した。なるほど円の話をしていた理由は、日本円のコインをくれというおねだりの布石だったのかとそのとき合点がいった。
整備された国道をひた走るこのタクシーは、結構なスピードを出している。メーターで確認しようとしても、針はゼロを差したままぴくりともしない。ロヘリオさんはこの調子だとスピード違反で警察に止められても、「メーターが動かないからしかたないんじゃ」などと押し切りそうだ。それを受けて警官も、「しゃあないな、それじゃ、じいさんせいぜい事故るなよ」とか言って済ませそうだ。
「あいにく手元にはないけれど、円が欲しいんですか? よかったら次回来るときに持ってきますよ」
僕はその場しのぎで答えた。
「次って言ったって、いつ来るんじゃ」
「1年後ぐらいでしょうか」
「1年後なんて、俺はもうこの世におらんよ」
「いやいや、お若いですって。おいくつなんですか」
「65歳」
そんなやり取りをする中で、5円玉ぐらいでいいのかなと一応聞いてみたら、予想を裏切る答えが返ってきた。
「いや、欲しいのはお札じゃ」