「実は家族が日本に帰っていて、久しぶりに1人旅をできることになったから、多少遠くてもなかなか行けない場所を探していて、エバーグリーン牧場を選んだんだ。もし気に入ったら今度は家族と来るかもしれない」
「つまり今回の滞在は下見であり、テストも兼ねているということね」
ステファニーは僕の言葉に歓声をあげた。ものすごく物分かりがいい。
それにしても相手の英語が流暢だと、同じスピードで話せない自分に少しイライラしてしまう。アクセルを踏んだけど車がなかなか思うように進まないような感覚だ。
何しろ僕は英語が公用語の国に住んだことがないから、タクシーが山道をガタゴトと揺れながらゆっくり上ったり下りたりする間、場合によってはスペイン語に転換できないかとタイミングを探っていた。
「ところで家族の共通言語は何なの」
「英語よ。だんながグリンゴだからね。でもスペイン語も話すよ」
「グリンゴ」とはアメリカ人のことをメキシコで冗談めかして言う時に使う言葉だが、もともとは駐留米軍を追い出したいがために、グリーン・ゴー(Green go)と言っていたのがスペイン語化された蔑称だと聞いたことがある。
「実はね、ステファニー。僕はメキシコにもう8年も住んでいるから、英語よりスペイン語のほうが楽なんだ」
スペイン語に切り替えながら正直に言った。現地のタクシー運転手やサボテン屋アンド木箱屋のおじさんたちと彼女が、相当にナチュラルなスペイン語を話しているのを耳にしていたからだ。
僕にとっての英語は、上京したばかりの関西系社会人が、無理やり使うよそいきの標準語に限りなく近い。頭の中である程度文章を組み立ててからでないと、うまく話せない。緊張するし、通じなかったときは自分の発音に自信がなくなってしまう。一方スペイン語は大阪生まれが使う関西弁であり、何も考えなくてもわりとすらすら言葉が出てくる。込み入った話でなければ頭で事前に組み立てなくても話せる言葉になっている。
「私はフランス人だから、ルーツが同じラテン語のスペイン語はあまり不自由なくしゃべれるよ。次女のシャヤンも長女のゾエも英語、スペイン語、フランス語が話せるわ。ダンナのサムエルはアメリカ人だから、どうしても英語がメインだけど、スペイン語もブロークンだけど話すよ」
ステファニーはまったく英語の時と変わらずないスピードで、スペイン語に切り替えながら言った。ひとまず劣等感をひきずらずに、この旅を楽しむための基礎は作れた。そんな会話を14歳のシャヤンはじっと黙って聞いている。
20分ほどおしゃべりをしながら、ゆっくりと進むタクシーに揺られていると、やがてアスファルトで舗装された道路が途切れ、山肌を切り開いた砂利道が姿を現した。
砂埃の舞う道を、さらにスピードを落としてタクシーは奥地へ向かった。途中ぽつぽつと民家が見えるが、どちらかと言えば原生林とたまに登場するトウモロコシ畑の中を、こっそり人間が進ませていただいていると表現したほうが正しい。すれ違う車はほとんどなく、当然車線も存在しない。
「制限時速20キロ。オーバーしたら罰金1000ペソ(6000円)」。
手書きの看板を途中何度も見かけたが、この道でそれ以上のスピードを出すのはなかなか難しいだろう。