3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

19話 ホームスクールと日本人のレール

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ステファニーは魔法のように素早く、限りなくヘルシーなご飯を作る

僕の他に宿泊客はバーニャとデイビッドしかいないが、彼らは部屋で自炊しているらしい。だからオーナー家族と食事を共にするのは僕1人だ。夫婦や娘と一緒に食卓を囲むから、まるでホームステイに来ているみたいだ。

ステファニー手作りのクレープ、地元の手焼きのトルティージャ(メキシコの主食)、全粒紛のハードパンの中から主食を選び、細かく刻まれたフルーツや温野菜、それにフリホルと呼ばれる豆料理が並ぶ。そして僕のためにわざわざ鶏肉や豚肉を焼いてくれる。

彼らはほぼ菜食主義者なので、事前にリクエストした僕のために肉や魚を仕入れてくれたのだ。「食事に肉料理を追加するならプラス50ペソ(300円)」とメールにあったのは、家族の食事とは別に、宿泊客に1品追加で作るからだ。

朝からほとんど何も食べていなかった僕は、温かくて柔らかいトルティージャに、自家製のマイルドなチリソースを加え、グリルされた玉ねぎや塩でシンプルに味付けされた鶏肉をのせてから、くるりと巻いてほおばった。食材は地元で生産されたものばかりだ。

村のことや家族のことをいろいろと聞きながら食事をしていると、彼らの生活がいたってシンプルなことに気づく。宿を世界中から訪れる客人に提供し、乗馬を教え、時に馬で山へツアーに出かけ、希望があれば食事を別料金で提供する。牧場にいる動物たちに餌をやって育て、広大な敷地を限りなく自然に近い状態に維持する。

父であり夫のサムエルは、アメリカで馬を扱う仕事以外に大工もしていたので、家を修理したり建てたりするのはお手の物みたいだ。

この村の人口は270名程度。

平坦な道沿いや、そこから山へ続く坂道沿いに、木やレンガで造った家や小さな教会が並んでいる。住民の大半はマヤ系先住民みたいで、母語であるツオツィル語(メキシコには先住民系の言語が60以上あるらしい)とは別に、スペイン語を話す。

そんな中、外国人家族が運営するこの牧場はかなり異質に映る。だけど住民の反感を買う白人系の入植者というイメージはなく、この家族の自然を愛する姿や、誠実な人柄が受け入れられているのだろう。

ちょこちょこと地元の子供たちやおじさんたちが用事で敷地に入ってくるが、サムエルのことを親しみを込めて「ドン・サムエル」と敬称で呼ぶ。「ドン」は長老的存在の男性に使う、古い言い方をすれば「翁」みたいな呼び方だ。

でもそこに悲壮感はなく、小さな村でともに厳しくも美しい自然の中で生きる仲間として、お互いの連帯認識が垣間見える。屋根の改修なんかで大工仕事を手伝ってもらって賃金を払ったりするから、この牧場から派生するささやかな経済効果も村人は享受する。そうしてしっかり土地に根付いて、もう7年ここでエバーグリーン牧場を運営しているのだ。

長女のゾエは最近高校に入ったが、それまでは娘2人を完全に家で教育した。数学、歴史、文学、地理、文字の書き方などすべてだ。学校には通わず、親が教える、いわゆる「ホームスクール」だ。僕の知り合いでオーストラリアに住むドイツ人女性が自宅で子供を教育したのを知っている。

学校から発行される卒業証書の類はないので、大学に進学したり、就職するときには何も学歴を示す公的書類はない。だけどこの牧場を継いだり、学歴なんか関係ない仕事をすればいいだけだ。

「ゾエがどうしても学校に行きたいと言うので通わせてはいるけれど、私は今でも必要ないと思っているの」

とステファニーは僕に言った。この牧場にいると企業に入って就職するという、多くの日本人が当たり前として考えるレールが、実は無限にある選択肢の中の1つでしかないことを思い知らされる。

一方で、子供の教育をすべて自分でするというのは、学校文化に浸かって街に長く住んできた僕のような人間には相当な覚悟がいるのも事実だ。同じ年頃の子供を持つ親としては、そもそも子供が持つ素朴な疑問に答えたり、義務教育で学ぶ内容をしっかり教えられるのかと言われればまったく自信がない。

母屋の外壁には黒板がかかっていた。大人の僕が両手を広げたぐらいの大きさで、チョークで数字やアルファベットで何か書かれている。

「これ、子供たち教えるときに使っていたの」

 と僕は聞いた。

「ああ、2人が小さいときはよく使ったわ。でも最近はあまり使わなくなったけど」

 どうやらこの黒板と、母屋の大きなテーブルが、ゾエやシャヤンの勉強の場みたいだ。