3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第47話 たぶん馬から落ちていた 

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馬に悪気はないが、突然全速力はかんべんしてください。

そんな風にいろいろと試行錯誤しているうちに、本当に一度だけ、馬が言うことを聞いたのか、ただの気まぐれか、突然スピードを上げて馬場を全速力で駆け出した。最初はちょっと走ってみたという感じだったのに、どうやら調子に乗ってきたようでぐんぐんスピードが上がる。

 

そんな馬の高揚感とは裏腹に、半ばあきらめかけていた僕は完全に不意を突かれた。二百メートルほどを一周する最終コーナーで、顔の前に木の枝が現れた。必死で馬の背中に身を伏せ、間一髪でけがを避けることができた。そこまではよかったが、直後に身体のバランスを崩して落馬しそうになった。上体が馬の背中の定位置から大きく左側にはみ出したのだ。でも鞍の木のでっぱりをつかんで、強引に足を踏ん張り、何とか落ちずに済んだ。

 

「今回はうまくいったな。でも体のバランスが少し崩れていたぜ」

 

サムエルが褒めてくれたときも、まだ僕の心拍数は上がったままだった。少しバランスが崩れていたどころではなくて、僕はもう落ちる覚悟さえし始めていたぐらいだ。でもあんなスピードで二メートル近い高さから投げ出されたら、いくら地面が土だとしても相当痛いのはだいたい想像がついた。

 

僕はもう学生の頃の体の柔軟性を失っている。そしてその直前には、どうやらバーニャが落馬したみたいだった。自分のことで精いっぱいだったから直接は見ていなかったけれど、しばらく背中を手で抑え、ジーンズの汚れを気にしながら足をひきずっていた。

 

そんなわけでその日のセッションは、僕ら三人ともさんざんだった。唯一デイビッドが少し馬の扱いが上達していて、何度か馬場を回ることに成功していたぐらいだ。でも、「あれこんなはずじゃあなかったのに」という表情が、セッション中ずっとデイビッドやバーニャの顔にも浮かんでいた。

 

「馬に命令するのは自分だと上下関係をはっきり分からせないといけない。そうしないと馬は勝手に水を飲んで、草を食べ始める」

 

分かってはいるが、どうやらその日は馬と僕ら生徒たちの上下関係は逆転していたみたいだ。これは何度も乗馬を経験して、自分が自信を持っていないと馬にも伝わらないに違いない。

 

最後にサムエル師匠が馬にまたがり、たてがみを手でつかんで馬に指令を送り始めた。唇から鋭い合図の音が鳴った。すると、馬はまるで踊りだすかのように激しく躍動し始めた。自在に馬を操るデモンストレーションだ。

すでに馬から降り、サムエルの説明を聞いていた僕ら三人の前で、目まぐるしいストップやターンが繰り返される。馬は前足を上げたかと思うと跳ねるように後ろ脚を蹴り、アクロバティックに方向を何度も変えた。僕はテレビでいつか見た、モトクロスバイクのウィリー走行やターンの曲芸を思い出した。馬は完全にサムエルの思いのままだった。

 

「頭の中にどう動きたいか明確にイメージして、馬に合図や言葉、それに体重移動で伝えるんだ」

 

サムエルは圧倒される僕らにそう告げた。こんな風にして三日間の馬術教室は締めくくられた。