散策ツアーと言っても、山道を登ったり下ったりたりする、まったりとした散歩でしかない。ただ道に迷わないように、地元の少年たちが付き添ってくれる。「畑仕事を手伝ってんのか」とか、「坂道歩くのは疲れないか」とか、雑談しながら未舗装の山道を歩き回った。花や木の実を見つけると、とチェペは僕に「ほらそこの花見て」とか、「その木の実は食べられるんだよ」と熱心に教えてくれた。
山の中で唐突に現れる冬瓜やトウモロコシ畑の横を通るたび、畑の中に見える作物を指さした。その小一時間の間、山道を行く僕らは誰ともすれ違わなかったし、畑仕事をしている人も見かけなかった。そもそも人が少ない村だし、クリスマスイブなのだから夕食の準備でみな忙しいのかもしれない。
チェペやアベルは家族を手伝って畑仕事をしているから、こんな観光客の相手は時間が空いたときのアルバイトみたいなものなのだろう。
「プーロ・トラバハール(働いてばっかりだよ)」
と兄のアベルは、道中何度もなまりの強いスペイン語で言った。彼の母語はサン・クリストバル近隣の村々で主に話されるツォツィル語だ。でも公用語であるスペイン語も自由に操るバイリンガルだ。
ただ言葉遣いは独特のくせがあり、語尾に必ず「プエス」という言葉を点けた。例えば「はい」と肯定するときに、必ず「シー、プエス」と言う。日本語にするなら「まあ、そうね」「ええと、そういうことになるね」というニュアンスだろうか。この「まあ」とか「ええと」にあたる「プエス」を語尾につけるのは、弟のアベルも同じだった。
「学校楽しいか」、「好きな教科は何だい」とこの年頃の子供と話すとき、必ず話題に出しそうな質問を僕は何度も口にしかけては呑み込んだ。もしかしたら二人とも初等教育さえ受けていないかもしれないからだ。
日本人が当たり前と思っている多くのことは、チアパス州の、特に都市部を離れた村では、まったくもって当てはまらない。二十五年も前だから今は状況が違うかもしれないが、この村から四十分ほどのところにある「アマテナンゴ」という、陶器を作る村に学生の頃行ったときのことを僕は思い出した。
その村で出会った十歳前後の子供たちから、鉛筆をくれないかとねだられた。たぶん学校で勉強に使うためだろう。だけどあいにく持ち合わせの鉛筆がなかったのでペンをあげた。文房具は何でも手元にあるのが当然だと疑ったことがなかった僕は、そのとき少なからずショックを受けた。
それから仲良くなった子供たちに、折り紙で鶴でも作って見せようと「何でもいいから紙切れをちょうだい」と言ったら、ずいぶんしてからボロボロで書き込みだらけの教科書の端切れを、何やらお母さんと相談した末に家の奥から出してきた。
この辺りに点在する村々の子供たちの生活は、まったくもって甘いものではない。だけど彼らの大きな瞳は、いつも好奇心いっぱいで輝いている。