ところでイギリス人のマットはゾエやシャヤンのことを小さな時から知っているお兄さんだ。ユカタン半島のカンクンから南に一時間ほど南下したところにある、トゥルムという小さなビーチリゾートに住んでいる。そこには小さくておしゃれなリゾートホテルがたくさんあって、そんなホテルに飾るように等身大から大きなもので五メートルもある木彫り作品を納品している。オブジェのモチーフは様々で、人魚だったり、熱帯に生息する鳥だったり、猿だったりする。
「本当はチアパスに住みたいけど、僕の作品が売れるのはトゥルムみたいなちょっと風変わりなリゾート地だったりする。だからまだ、しばらくはあそこで仕事をしようと思う」
マットはチアパスでステファニーたちと何年も一緒に生活を共にしたことがある、いわば親戚みたいなものだけれど、家族の事情で一度イギリスに戻った。でもやっぱりメキシコが好きで、また生活のベースをこの国に戻したという経歴の持ち主だ。
「いつかは、またチアパスに来てこの家族の近くに住めればいいと思っている」
イギリスにはない、ワイルドで温かい魅力がどうしてもマットを引き付けているようだ。
長女で十六歳のゾエは、大人チームの会話に混ざっている。ゾエやマットとおしゃべりしていると、やがて日本のアニメのことが話題になった。「日本と言えば」と自然にジブリの映画の話になり、「千と千尋の神隠し」が好きだとか、いや「トトロ」がキュートだとか、二人が自分のお気に入りの宮崎作品について熱弁し始めた。彼らのほうが詳しいから、僕は初期の「ナウシカ」をお勧めするぐらいしかできなかった。
ここ十年そこらで、日本人や日本文化に対しての世界中の人の見る目がちょっと変わってきたようだ。例えばクリスティーナはリヨンで日本人留学生を下宿させ、世話を焼くのが大好きだ。このディナーのメインディッシュは巻き寿司だったりするし。
僕がオアハカに留学していた二十五年前には、インターネットなんかなく、メキシコ人が知っている日本語は「芸者」、「侍」、「腹切り」、「空手」が代表的だった。マニアックなメキシコ人がやっと「忍者」という言葉を知っていたぐらいだ。
近所の子供たちは、僕を見ると空手でやっつけられると勝手に恐れて逃げ回っていた。日本のアニメと言えば、当時「アルプスの少女ハイジ」がテレビで流れていた。今はメキシコ人に会うと「ドラゴンボール」や「キャプテン翼」などのクラシックなアニメシリーズはほとんどの人が知っている。
メキシコでテレビ放映されていなくても、インターネットの普及のおかげで、日本でリアルタイムで観られているアニメが、スペイン語の字幕付きで見ることができる。そしてそこに登場する主人公や登場人物をマニアックに愛する人に出会うようになった。Jポップも人気で、十代の男の子が「いきものがかり」のファンだったりする。そして特に日本びいきというわけでもない人たちも、日本料理は寿司やてんぷらだけでなく、案外多彩だということに気づき始めている。