僕は1週間かけて何度もダニエルの鼻歌を聞き、ああでもない、こうでもないと歌詞をあてていった。
悲しげなメロディ(マイナーコード)でトーンが統一されていて、聞いているうちに僕は加藤登紀子を思い出した。
実は留学にあたり加藤登紀子のCDをカセットにダビングして持ってきていた。もともと好きで聞いていたわけではないが、日本から来たのに洋学ばかりのカセットを持ち歩いていたのでは、日本の音楽を聞かせてくれと言われたときに格好がつかない。
実際、オアハカで大学で知り合ったメキシコ人の学生たちや、僕がお世話になった大家さん家族から、日本の音楽ってどんなのかと聞かれることは何度もあった。そして、僕はそのたびに、持ってきていた伝統音楽、例えばお琴や三味線のテープを貸し出した。でもどこかでこれは日本人が普通に聞く音楽ではないと思っていた。
そんなとき、ポップスではあるが、日本的な要素がちりばめられた加藤登紀子のベストアルバムみたいなものが非常に役に立った。彼女はいろいろな国の音楽をカバーしたり、独自で作曲したりしているけれど、すべて日本語だ。だからメキシコ人には珍しいけどすんなり受け入れられる。そんなわけで洋楽ばかり聞いていたはずの僕は、なぜか日本語が聞きたくなると加藤登紀子を聞いていたのだ。例えば100万本のバラの花をあなたにあげる、とかそんな歌詞だ。
結局僕がダニエルの曲に付けた歌詞は、純日本語だけどメキシコを舞台にした、ちょっとアメリカとも関係するものだ。
ここで見る最後の空を眺めておくんだよ
初めて踏む土の上を生きてゆくのだから
眠れ、今夜母の胸で、眠れ安らかに
眠れ、お前の故郷で豊かなこの地で
メキシコとアメリカの国境に流れる川を、不法移民が毎年命がけで渡る。出稼ぎだが、警備員に見つかると家族離散は免れない。運よく子供だけ、または親だけがアメリカにわたり、運よく飲食店なんかで働いて稼いだ金を地元に残る親戚や家族に送金する。
でも、つかまったらどうなるかは分からない。そんな風に命がけで渡る川を前に母親が何も事情を知らない子供の寝顔に向けてささやくように歌うことをイメージした。
僕は歌詞をローマ字に落として、ダニエルに渡し、正直に歌詞の内容を伝えた。しばらく考えてダニエルは言った。
「ありがとう。素晴らしい。俺はアメリカ人だけど、だからこそ面白いと思う。この歌を歌えるのは、今のところあんたと俺だけだ」
そう言ってにやりとした。僕は初めて合作を経験した。肩の荷が下りた。