3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第18話 国境の子守歌

僕は1週間かけて何度もダニエルの鼻歌を聞き、ああでもない、こうでもないと歌詞をあてていった。

 

悲しげなメロディ(マイナーコード)でトーンが統一されていて、聞いているうちに僕は加藤登紀子を思い出した。

 

実は留学にあたり加藤登紀子のCDをカセットにダビングして持ってきていた。もともと好きで聞いていたわけではないが、日本から来たのに洋学ばかりのカセットを持ち歩いていたのでは、日本の音楽を聞かせてくれと言われたときに格好がつかない。

 

実際、オアハカで大学で知り合ったメキシコ人の学生たちや、僕がお世話になった大家さん家族から、日本の音楽ってどんなのかと聞かれることは何度もあった。そして、僕はそのたびに、持ってきていた伝統音楽、例えばお琴や三味線のテープを貸し出した。でもどこかでこれは日本人が普通に聞く音楽ではないと思っていた。

 

そんなとき、ポップスではあるが、日本的な要素がちりばめられた加藤登紀子のベストアルバムみたいなものが非常に役に立った。彼女はいろいろな国の音楽をカバーしたり、独自で作曲したりしているけれど、すべて日本語だ。だからメキシコ人には珍しいけどすんなり受け入れられる。そんなわけで洋楽ばかり聞いていたはずの僕は、なぜか日本語が聞きたくなると加藤登紀子を聞いていたのだ。例えば100万本のバラの花をあなたにあげる、とかそんな歌詞だ。

 

結局僕がダニエルの曲に付けた歌詞は、純日本語だけどメキシコを舞台にした、ちょっとアメリカとも関係するものだ。

 

 

ここで見る最後の空を眺めておくんだよ

初めて踏む土の上を生きてゆくのだから

眠れ、今夜母の胸で、眠れ安らかに

眠れ、お前の故郷で豊かなこの地で

 

 

メキシコとアメリカの国境に流れる川を、不法移民が毎年命がけで渡る。出稼ぎだが、警備員に見つかると家族離散は免れない。運よく子供だけ、または親だけがアメリカにわたり、運よく飲食店なんかで働いて稼いだ金を地元に残る親戚や家族に送金する。

 

でも、つかまったらどうなるかは分からない。そんな風に命がけで渡る川を前に母親が何も事情を知らない子供の寝顔に向けてささやくように歌うことをイメージした。

 

僕は歌詞をローマ字に落として、ダニエルに渡し、正直に歌詞の内容を伝えた。しばらく考えてダニエルは言った。

 

「ありがとう。素晴らしい。俺はアメリカ人だけど、だからこそ面白いと思う。この歌を歌えるのは、今のところあんたと俺だけだ」

 

そう言ってにやりとした。僕は初めて合作を経験した。肩の荷が下りた。

 

第17話 鼻歌に作詞という宿題

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毎週日付と課題がリストアップされた


ある日、ダニエルのアパートにレッスンに行くと、例によって小さなギターを抱えながらダニエルが鼻歌を歌いながら伴奏していた。ゆったりとしたバラード調のメロディーだが、なぜか懐かしい感覚がした。

 

その日、普通にレッスンの中で新しいコード進行やデモンストレーションの演奏を見た後に、また例の懐かしいメロディの鼻歌を歌い始めた。

 

「シンジ、この曲は日本語の歌詞にしようと考えている。てつだってくれないか」

 

「???」

 

「だからあんたが作詞して初めて、曲として完成するんだ」

 

僕は作詞なんかしたことなかったけれど、良しあしが相手に伝わるわけでもないし、軽い気持ちで引き受けた。でもそれは結構緻密な作業だった。

 

「よし、これから曲に歌詞を載せる方法を教える」

 

何百曲と書いてきた彼は、独自の方法で曲を世に送り出してきたのだ。僕は一言も漏らすまいと耳をすました。

 

「まず、俺の場合は鼻歌でメロディを作る。すると自然にそれを伴奏するためのコード進行が決まる。ここまではいいな」

 

そういえば彼はいつもギターを抱えて鳴らしながら、アーとかウーとか、ダダダとか言いながら何となくメロディを口ずさんでいた。そしてそのあと、メロディを音の数に分解し、3つとか4つの音ごとにに分るため、ノートに「3/4/3」と書き始めた。その上にはコード進行がメモ書きされる。

 

要するにこうすることで、一度口ずさんだメロディを記録していくのだ。そしてある程度形になるとラジカセで曲を録音する。僕は今回その録音したタイトルも歌詞もない「何となく懐かしいギター伴奏つき鼻歌」を宿題で持たされた。

 

そうして僕はダニエルと初めてのコラボレーションに向けて苦悩の日々を送るのだ。

 

 

 

第16話 アンダードッグ・ラグ(負け犬のラグタイム)

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White Feathers in the Coop アルバムジャケット。

 

ダニエルの人生は音楽を土台にすべてが成り立っている。だけど何か事情があってアメリカに嫌気がさし、メキシコのオアハカで住むようになった。でも自分が成し遂げてきたこと(=過去)にほとんど執着がなくて、最低限の楽器以外は、何も持っていない。

 

僕がフィンガーピッキングをマスターし始めた頃、アンダードッグ・ラグという曲を教えてくれた。

 

「これ簡単だから真似して弾いてみな」

 

そう言って、見本を見せながらダニエルは相変わらず体に似合わない小さなギターでクリアーで乾いた音を鳴らし始めた。確かに使っているコードは少なく、指の動きも派手にネックを動き回る割には単純だった。要するにコードの抑え方をそのままにしてスライドさせる動きが多いので、激しく見えるのだ。

 

「アンダードッグ・ラグっていうんだけど、ほら、なんかうだつの上がらない犬いるだろ。その負け犬みたいなやつらをちょっと皮肉ったんだ」

 

聞くとピッキングで高い音を奏でる部分が犬の吠えている声に聞こえなくもない。そうして例によって僕らはラジカセのスイッチをオンにし、録音した。

 

僕は家に帰ってこの曲が派手で滑稽なので気に入って何度も練習した。そして次の週にはあまりつっかえずに弾けるようになっていた。

 

ところで後で気づいたのだけれど、ダニエルのギターのバックには犬の吠え声がかすかに録音されていた。僕は偶然のことににやりとしてしまった。この曲は彼が作曲して、White Wheathers in the Coopという初期のアルバムに入っている曲だと後で知った。そしてどうやら、オアハカのアパートには常に何かしら犬が周りにいたり、鳴き声が聞こえていて、何十年も前の曲を思い出させたのかもしれないと納得した。

 

そしてそれから何年かして、僕は日本でこの曲が収録されたアルバムを手に取った。確かにそこにはアンダードッグ・ラグという曲が入っていたが、僕が習った曲と全然違っていた。そしてアルバムを全部聞いていると、聞き覚えのある曲が流れてきた。てっきり犬がテーマになっている曲だと思っていたら、僕が習った曲の本当の名前はパイントゥリー・ラグというらしい。

 

自分の曲名さえ、あいまいになっていたみたいだ。本当に過去に執着がない。別に宣伝するわけではないけど、このアルバムは日本でも手に入るはずだ。

 

- White Feathers in the Coop by Dan Delsanto - Amazon.com Music

 

 

 

第15話 生まれて初めての実技試験

ダニエルとギターレッスンを開始してから2か月ほどたった頃のことだ。

 

「シンジ、これは正式なクラスだから当然実技試験がある」

 

とダニエル師匠は僕に告げた。

 

「フィンガーピッキングの課題をリズムに合わせてなるべく正確に弾く。それからこれまで覚えた曲の弾きがたりだ」

 

僕は試験と聞くと緊張してしまうたちなので、本番で緊張しないように何度も家で練習をした。

 

「曲を弾き語るときは、人に聞かせることが大切だ。自分ひとりで弾くのと、誰かに聞いてもらうのとでは意味が少し違う。あんたにはミュージシャンとしてギターを仕込みたいと思っている」

 

相変わらずダニエルは僕にモチベーションを高める言葉を投げかけてくる。ほんの少し前までコードも弾けなかった僕が、数週間で1曲弾き語りができるようになり、そしてフィンガーピッキングラグタイムの簡単な奏法を学び始めている。

 

そして予告から3日後のテスト本番。ダニエルは僕に順番に課題曲を弾くように指示した。

 

1つ目はラグタイムの練習曲。僕はダニエルの見本をカセットテープに録音し、指の使い方を頭に焼き付けて家で練習した。だけどラグタイムはただコードを弾くだけでなく、途中で短いがソロパートが入る。それはフレットをコードの形に押さえるだけでは弾くことができない。どうやら僕はフレットを左手の指で押さえるときに速く指を運ぶのが苦手なようだ。

 

「まだまだ練習が足りない」

 

そうダニエルは僕に告げた。でもソロパート以外は及第点だという。

 

「次はPor ella、Caballo Viejoを弾いてもらう」

 

ダニエルを前に僕は一曲ずつ途中で止まらず演奏しながら歌った。どうもダニエルは僕のラテンチックなリズムギターが気に入っているようで、何度もうなづいた。

 

「オーケーだ。今からショーをイメージするんだ。だいたい15曲用意できれば1つのワンマンショーができるようになる。せっかくだから日本の曲や英語の曲も混ぜていこう」

 

ダニエルは自分がそうしてきたように、僕にバーやレストランでショーができるようにいろいろなバリエーションの曲を覚えさせようとしていた。

 

そして、その日生まれて初めて僕が受けたギターの実技試験はA+だった。たぶん始めて間もないからおまけも入っていたと思うが、プロのギタリストから試験結果をノートに書きこまれて、僕のやる気はまた上がった。

第14話 My baby is so fine

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作者直筆の歌詞とコード進行


ダニエルは自分のアルバムが入ったテープを貸してくれた。10代の頃からレコーディングに参加し、リーダーズアルバムは17枚を数えると教えてくれた。でも僕が知っている洋楽の世界に彼の名前はない。本人が自主制作したものや自分でプロデュースしたレーベルも多いから、日本で手に入れるのは当時はなかなか難しかった。

彼が貸してくれたテープには、10曲がみっちり入っていて、すべてオリジナル曲だ。レゲエから始まり、いろいろな種類のカリブ音楽と自分の感性を融合させている。結局このアルバムはレコーディングまでしたのに、CDとしては出なかった。あるいは出る前に彼は事情があって、アメリカを後にしてメキシコにやってきたのかもしれない。

 

そんな未発表のアルバムの2曲目が「My baby is so fine」という曲だ。

 

「コンパというハイチの音楽をモチーフにした曲だ。コードは4つを繰り返し弾くだけだ」

 

そう言いながら、僕に歌詞とコードを綴った紙を渡した。物悲しいラブソングだ。本当にシンプルなコード進行を僕は何度もラテン風リズムを刻んで弾いた。

 

「俺の曲を広めてもらいたいしね」

 

と言いながらダニエルはにやりとした。カセットから流れるギターは、アフリカのギターを使っているという。高音でシャープにはじかれる弦の音が、か細く主張するフィンガーピッキングだ。

 

When my baby is talking, I feel like I must scream

(彼女が話すだけで 俺は叫びたくなる)

 

アコーディオンがバックで流れ、ダニエルのしゃがれた声とアフリカンギターが鳴る。

僕はこの曲をそらで歌えるようになるまで、何度も何度も練習した。そしてたぶん僕以外の日本人は誰も知らないはずの名曲を作者公認でレパートリーに加えたのだ。

 

第13話 エリック・クラプトン

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メキシコ北部の町できいたホーンセクション主体のバンダ


ダニエルとのレッスンに、僕は常に自分が弾いて歌いたいと思った曲をカセットにダビングしては持って行った。今考えるとなんともぜいたくなことをしていたのかと思うが、いつも次のレッスンまでにダニエルは曲のコード進行をメモしてくれていた。

 

「シンジもいずれできるようになるさ。曲を聴いたらコードが浮かんでくるようにね」

 

僕はその感覚がよく分からなかった。ダニエルが探してくれたコード進行を弾くことはできるけど、自分で曲を聴きながらコードを探し当てることは到底できない。

 

その日僕はエリック・クラプトンのバラードで当時えらくヒットした Tears in Heavenを持って行った。ダニエルからは、あまり大衆的なポップスは歓迎されないと覚悟していたのだが、意外にもエリック・クラプトンは別扱いだった。

 

「俺たちみたいなギターを弾くシンガーソングライターには、3つは柱がある。1つは作曲。2つ目は歌。3つ目はギター演奏だ。例えば俺は作曲、ギター、歌の順で得意だが、エリック・クラプトンはギター、歌、作曲の順になるだろうな」

 

「この曲はどうも死んだ息子についてかいた曲みたいだ。実は俺は彼のクルー(バンドメンバー)と親しくしていた。だけど、ある飛行機事故でみんな死んでしまった。それから息子も死んだ。本当に悲しい人生を彼は送っているんだ」

 

そう言って、間接的にでも近いミュージシャンであることを教えてくれた。

僕はそれまでエリック・クラプトンは、「スローハンド」と皮肉られる速弾きギターの名手で、「レイラ」という大ヒット曲を持つ人ぐらいにしか知らなかった。だけどそんなに親しい人をたくさん亡くして、何とか音楽で人生を生きている悲しい運命のアーティストだと知ることで、曲に対して解釈が全く違ってくることを経験した。

 

ダニエルは歌詞カードを持たない僕のために、歌詞を直筆で書き、その上にコードを記した。決してコードは悲しくないが、背景を知ったうえで歌詞を読むと実に悲しい曲だった。

 

Would you know my name if I saw you in heaven?

(もし天国で会ったら、俺の名前わかるかな)

Will it be the same if I saw you in heaven?

(もし天国に会ったら、おんなじようになるかな)

 

これが天国にいる息子に語り掛けているんだとしたら、相当につらい曲だ。売れ線狙いではない。

 

 

 

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第12話 感情を表現する

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アフリカからアメリカ大陸に行きついたリズムが多くの音楽のルーツになった

ダニエルのレッスンは常に音楽の歴史とともに進む。彼はカントリーとブルースをベースに、ジャズやアフリカ音楽、カリブの音楽を取り入れて「ワールドビート」という独自のスタイルを築いたのだという。

 

「ブルースもジャズも結局アフリカがルーツだ。アメリカならそうだけど、例えばハイチならコンパという音楽ある。ジャマイカならレゲエだ。多くの黒人ミュージシャンとこれまで音楽やってきたけど、彼らは本当にシンプルな奏法で見事に感情を表現する」

 

そう言ってその一つのテクニックとして「チョーキング」を僕に見せた。弦を普通に上から指で押さえるのではなく、押さえたままグイっと上下させて音を「ずらす」のだ。

 

「これは何でやっているかというと、人間の声に近づけるためだ。結局人の心を打つのは声が一番だ。歌うとき、楽器が音階を正確に再現するのと違って、徐々に音から音へスムーズにずれていくだろ。それを聞いてみんな涙するんだぜ」

 

僕はチョーキングと言えばエレキギターが専門だと思っていたけど、アコースティックギターでも見事にできる。ちょっと力がいるけど。そんな説明を聞きながら僕はダニエルが作曲したブルースのフレーズを習った。

 

「感情を表現する一つの方法がこのチョーキングだ。ブルースには多用されるから練習してくるように」

 

そう言いながらフレーズを何度も僕にやって見せた。

 

「ギターを弾くのに複雑なことをしなくても感情を表現して人を感動させるミュージシャンはたくさんいる。ジャマイカには弦1本ですごい音楽を弾くやつがいる」

 

僕は1990年代の当時、YouTubeもインターネットも普及してなかったからその音楽を今の今まで聞くことがなかった。けど、調べたらジャマイカのミュージシャンのビデオがヒットした。そしてこれがダニエルが言っていたスタイルだと確信した。

 

複雑なテクニックもいいけど、こんな音楽もいい。シンプルだから心に響くのかもしれない。こぶしを多用する演歌も、もしかしたら感情を揺さぶるためにそうしているのかもしれないことに思い当たった。

 

 

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