ところでその日初めて、僕は馬の「蹄」が人間でいう「爪」にあたるものなのだと知った。サムエルがおもむろに鎌のような道具で蹄を1センチほどそぎ落としたのだ。そのスライスされた白い蹄の一部は、人間が爪切りでパチリと切るのとは規模が違う。僕の手のひらより少し大きいぐらいだ。そして地面に落ちた瞬間、待ち構えていた2匹の犬が競い合うようにそれを食べ始めた。
「こいつらの好物なんだよ」
と、サムエルは何でもないことのように言った。
ブラッシングなどで馬とのコミュニケーションを一通りこなすのは、昨日と同じルーティンだ。硬い毛のブラシで体中をこすると、馬は気持ちよさそうに目を細める。ブラシを持っていない左手でお腹をなでていると、小さな突起に指が触れることがある。
「いぼ」みたいなものだろうと思ってサムエルにきくと、「これはダニだ」と返事が返ってきた。馬に巣くう吸血鬼は丸まると太っていて、その腹の部分が指に当たるのだ。取ろうと思えばあまり指に力を入れなくてもポロリと取れる。だけど、これを地面に捨ててはいけないと注意があった。
「この虫は結構危険なんだ。なにせ完全に踏みつぶさなければ、草の間をはいつくばって、また他の馬に吸い付くんだぜ。だからあんたらは見つけてもそのままにしておいてくれ。バケツに入れておかないと後で厄介だからな」
サムエルはそう言って、馬からダニをはがしながら、片手に持ったブリキ製のバケツにポトリポトリと落としていった。
イントロダクションの後半は、昨日と同じルートを通って、母屋から離れた草原地帯まで歩いていく。五分ぐらい歩くが、この歩いている時間は、実は生徒同士のコミュニケーションの場となる。バーニャと会話したのもこの草っぱら横断の間だった。僕はスウェーデン人のアナの近くを歩いていたので、馬に乗ったことはあるのかと聞いてみた。
「スウェーデンでも馬に乗ったことはあるよ。でも、それは子供の頃のことで、ただ馬の背中に乗って手綱をひいてもらって公園を散歩しただけ。こんな風に教えてくれる場所はなかなかないのよ」
彼女も僕も、馬に乗ったことはあるけれど、実は馬のことをあまり知らないという点では大して変わらない。