3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第51話 デイビッドのギター

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クールな部屋でも夜は寒い。窓にガラスがまだはまっていない。

 そんなデイビッドの引っ越し荷物の中に、小さなギターケースがあった。

実は彼らの部屋を初日に見せてもらったときに見つけて気になってはいたのだが、特に触れずにいた。でも僕は楽器が大好きでギターも少し弾くので、我慢できずにデイビッドに弾かせてもらった。カリフォルニア製の小さなギターは、旅行にはぴったりの大きさだ。お互いのギター歴とほんの少しのレパートリーを披露しあった。

 

「僕はギター習いだして三年なんだ。もともとそんなに音楽が得意ではないけど、ギターで曲を弾けたらかっこいいなと思ってトライしている」

 

 デイビッドはギターの弦を指でつまびくアルペジオ奏法を少し見せてくれた。

 

「ハレルヤという曲なんだけど、知らないかな」

 

 僕はその曲を聞いたことがなかった。僕は昔に覚えたブルースやラグタイムのフレーズをいくつか弾いた。そして一つ提案した。

 

「今晩クリスマスディナーで、二人で曲を披露しよう。せっかくギターもあるし、盛り上がるよ」

 

「クールだね、それ。分かった」

 

 デイビッドはあまり人前では弾き語ったことがないと言っていたが、彼も参加することに意義を見出しているようで快諾した。僕は僕で何曲かレパートリーはある。何とかなるし、弾かないで後でやればよかったと後悔するのは、この牧場では選択肢として思いつかない。

第50話 クールな部屋

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山道では誰ともすれ違わなかった。

 一時間も歩き回っていたら、エバーグリーン牧場にいつの間にか戻っていた。途中、何度も「ほら見て家だよ」とチェペは教えてくれた。だけど、結局ステファニーが言っていた「丘から見える村の美しい景色」らしきものは見当たらなかった。でも牧場の外の様子が分かったので満足だった。僕はお礼を言い、二百ペソ(千二百円)を渡して兄弟と別れた。決して安い金額ではないが、僕はステファニーに聞いていた金額をそのまま渡した。

ステファニーは仲介料を取らない。よそ者の外国人が牧場を運営しているのだから、少しでも地元の村人に還元しようという姿勢がこんなところからも伝わってくる。

 

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とうもろこしが聖なるものに見えてきた

 部屋に戻ると共有キッチンの床に、デイビッドの荷物がごろごろと置かれていた。実はその日、以前からクリスマスを過ごしに来る予定だった、ステファニーたちの大親友マットが泊まりに来る。そしてデイビッドたちが泊まっていた「ザ・コテージ」に宿泊するのだ。

でもこの牧場が気に入ってまだ泊まりたいデイビッドとバーニャは行くところがなくなり、とうとう僕の泊まる部屋の逆側にある、ボランティア用のベッド四つ詰めつめルームに引っ越してきたのだ。そして、僕が明日宿をチェックアウトしたら僕の後に入るという算段だ。僕は前日に部屋の鍵を開けて―――とはいっても、扉が勝手に開かないように留め具をひっかけるだけだけど―――デイビッドとバーニャに部屋を見せた。

 

「クールだね、この部屋」

 

と二人は口々に言っていたが、おそらく暖炉のある部屋で過ごしていた彼らに、夜の冷気は想像できないはずだ。

 

第49話 プーロ トラバハール(働いてばっかりだよ)

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働いてばっかりだよ、と兄は笑った。

散策ツアーと言っても、山道を登ったり下ったりたりする、まったりとした散歩でしかない。ただ道に迷わないように、地元の少年たちが付き添ってくれる。「畑仕事を手伝ってんのか」とか、「坂道歩くのは疲れないか」とか、雑談しながら未舗装の山道を歩き回った。花や木の実を見つけると、とチェペは僕に「ほらそこの花見て」とか、「その木の実は食べられるんだよ」と熱心に教えてくれた。

山の中で唐突に現れる冬瓜やトウモロコシ畑の横を通るたび、畑の中に見える作物を指さした。その小一時間の間、山道を行く僕らは誰ともすれ違わなかったし、畑仕事をしている人も見かけなかった。そもそも人が少ない村だし、クリスマスイブなのだから夕食の準備でみな忙しいのかもしれない。

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冬山で遭遇する植物も、かすかに花を咲かせている。


チェペやアベルは家族を手伝って畑仕事をしているから、こんな観光客の相手は時間が空いたときのアルバイトみたいなものなのだろう。

 

「プーロ・トラバハール(働いてばっかりだよ)」

 

と兄のアベルは、道中何度もなまりの強いスペイン語で言った。彼の母語はサン・クリストバル近隣の村々で主に話されるツォツィル語だ。でも公用語であるスペイン語も自由に操るバイリンガルだ。

ただ言葉遣いは独特のくせがあり、語尾に必ず「プエス」という言葉を点けた。例えば「はい」と肯定するときに、必ず「シー、プエス」と言う。日本語にするなら「まあ、そうね」「ええと、そういうことになるね」というニュアンスだろうか。この「まあ」とか「ええと」にあたる「プエス」を語尾につけるのは、弟のアベルも同じだった。

「学校楽しいか」、「好きな教科は何だい」とこの年頃の子供と話すとき、必ず話題に出しそうな質問を僕は何度も口にしかけては呑み込んだ。もしかしたら二人とも初等教育さえ受けていないかもしれないからだ。

日本人が当たり前と思っている多くのことは、チアパス州の、特に都市部を離れた村では、まったくもって当てはまらない。二十五年も前だから今は状況が違うかもしれないが、この村から四十分ほどのところにある「アマテナンゴ」という、陶器を作る村に学生の頃行ったときのことを僕は思い出した。

その村で出会った十歳前後の子供たちから、鉛筆をくれないかとねだられた。たぶん学校で勉強に使うためだろう。だけどあいにく持ち合わせの鉛筆がなかったのでペンをあげた。文房具は何でも手元にあるのが当然だと疑ったことがなかった僕は、そのとき少なからずショックを受けた。

それから仲良くなった子供たちに、折り紙で鶴でも作って見せようと「何でもいいから紙切れをちょうだい」と言ったら、ずいぶんしてからボロボロで書き込みだらけの教科書の端切れを、何やらお母さんと相談した末に家の奥から出してきた。

 

この辺りに点在する村々の子供たちの生活は、まったくもって甘いものではない。だけど彼らの大きな瞳は、いつも好奇心いっぱいで輝いている。

 

第48話 散策ツアーと兄弟

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スクービーはずいぶん嬉しそうに山道の散歩についてきた。

その日、つまりクリスマスイブのメインイベントは夕食だ。僕はこの広い牧場でいろんな国の人達と一緒に食べるディナーにゲストとして招待されている。

でもそれまでには二時間ほど時間があるのでステファニーに他に何か楽しそうなアクティビティはないかときいてみた。すると地元の少年と行く村の自然散策ツアーに出るのはどうか、と提案があった。これまでいろんな国のゲストが、村の少年と朝から山に登り、珍しいキノコを見つけ、はたまた植物の解説を受けて喜ばれているというのだ。簡単に言うとエコツアーだ。

僕がディナーの前に散歩できるとしても、せいぜい一時間ぐらいだから、森の中に入ってゆっくりキノコを見つけている時間はない。だけど部屋に待機しているだけよりは楽しそうだからお願いすることにした。

 

「丘の上から近くの町の景色がきれいに見えるところがあるの。二十分も歩けば着くと思うから」

 

 そう言ってステファニーはガイドの少年に、この道を通ってこの坂を上ってと、細かく指示を出し始めた。空いた時間を利用した散歩だし、それほど期待しないでいい。身体はまだそれほど疲れていないし、多少牧場の外を歩き回るのも村の様子が分かっていいと思った。

 

ガイドはよく日に焼けた少年でチェペといった。弟のアベルを連れて、牧場の柵を何度もまたいだりくぐったりして、牧場の外の山道へと僕を連れ出した。トウモロコシ畑やカラフルな花を咲かせる植物の写真を撮りながら、とにかく少年二人について歩きまわった。チェペは十三歳で、アベルは八歳だ。それに牧場の飼い犬の中でも一番人懐っこい、クリーム色の小型犬「スクービー」が道中ずっとついてきた。

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まずは牧場を横切り、山道に出た。


山を練り歩くように未舗装の土の上を進むと、巨大な松ぼっくりがたくさん落ちていた。サン・クリストバルの近郊の標高二千メートルを超える高原地帯には、大きな松の木がたくさんある。形の整ったものがあったので一つ拾ってリュックにしまった。するとそれを見ていた弟のアベルがしばらくして、もっと大きくきれいなものを拾って僕に手渡した。

 

「きれいだね、これ。ありがとう」

 

とリュックにしまうと、無口な弟は恥ずかしそうに笑った。そのあといくつも拾ってくれたけど、松ぼっくりは大きさが二十センチほどもあるので、リュックの中はすぐいっぱいになった。戻ったら母屋に飾りとして使ってもらうつもりだ。

第47話 たぶん馬から落ちていた 

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馬に悪気はないが、突然全速力はかんべんしてください。

そんな風にいろいろと試行錯誤しているうちに、本当に一度だけ、馬が言うことを聞いたのか、ただの気まぐれか、突然スピードを上げて馬場を全速力で駆け出した。最初はちょっと走ってみたという感じだったのに、どうやら調子に乗ってきたようでぐんぐんスピードが上がる。

 

そんな馬の高揚感とは裏腹に、半ばあきらめかけていた僕は完全に不意を突かれた。二百メートルほどを一周する最終コーナーで、顔の前に木の枝が現れた。必死で馬の背中に身を伏せ、間一髪でけがを避けることができた。そこまではよかったが、直後に身体のバランスを崩して落馬しそうになった。上体が馬の背中の定位置から大きく左側にはみ出したのだ。でも鞍の木のでっぱりをつかんで、強引に足を踏ん張り、何とか落ちずに済んだ。

 

「今回はうまくいったな。でも体のバランスが少し崩れていたぜ」

 

サムエルが褒めてくれたときも、まだ僕の心拍数は上がったままだった。少しバランスが崩れていたどころではなくて、僕はもう落ちる覚悟さえし始めていたぐらいだ。でもあんなスピードで二メートル近い高さから投げ出されたら、いくら地面が土だとしても相当痛いのはだいたい想像がついた。

 

僕はもう学生の頃の体の柔軟性を失っている。そしてその直前には、どうやらバーニャが落馬したみたいだった。自分のことで精いっぱいだったから直接は見ていなかったけれど、しばらく背中を手で抑え、ジーンズの汚れを気にしながら足をひきずっていた。

 

そんなわけでその日のセッションは、僕ら三人ともさんざんだった。唯一デイビッドが少し馬の扱いが上達していて、何度か馬場を回ることに成功していたぐらいだ。でも、「あれこんなはずじゃあなかったのに」という表情が、セッション中ずっとデイビッドやバーニャの顔にも浮かんでいた。

 

「馬に命令するのは自分だと上下関係をはっきり分からせないといけない。そうしないと馬は勝手に水を飲んで、草を食べ始める」

 

分かってはいるが、どうやらその日は馬と僕ら生徒たちの上下関係は逆転していたみたいだ。これは何度も乗馬を経験して、自分が自信を持っていないと馬にも伝わらないに違いない。

 

最後にサムエル師匠が馬にまたがり、たてがみを手でつかんで馬に指令を送り始めた。唇から鋭い合図の音が鳴った。すると、馬はまるで踊りだすかのように激しく躍動し始めた。自在に馬を操るデモンストレーションだ。

すでに馬から降り、サムエルの説明を聞いていた僕ら三人の前で、目まぐるしいストップやターンが繰り返される。馬は前足を上げたかと思うと跳ねるように後ろ脚を蹴り、アクロバティックに方向を何度も変えた。僕はテレビでいつか見た、モトクロスバイクのウィリー走行やターンの曲芸を思い出した。馬は完全にサムエルの思いのままだった。

 

「頭の中にどう動きたいか明確にイメージして、馬に合図や言葉、それに体重移動で伝えるんだ」

 

サムエルは圧倒される僕らにそう告げた。こんな風にして三日間の馬術教室は締めくくられた。

第46話 若くて美しい師匠の娘は、軽い足取りで

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シャヤンは完全に白馬と一体化した

 クリスマスイブのその日、馬術の師匠サムエルに、今日は何をしたいかと聞かれたので、「ギャロップ」の仕方を教えてほしいとリクエストした。

 

ギャロップとは馬が全速力で走るときの足の運びで、日本語では襲歩(しゅうほ)というらしい。僕はこれまで何度もいろいろな観光地で馬に乗り、ギャロップで走らせてもらったことがあったので、その爽快さを忘れられないでいた。

 

前日に散策した森の中でも、まあまあなスピードが出たし、あまり苦労せずに走れるだろうという感覚もつかんでいた。バーニャとデイビッドも一緒だが、僕より前から滞在していた彼らの方が、断然馬の扱いはうまいから賛成してくれた。

 

その日、僕のこんな要望に、サムエルは特別講師を迎えて応えてくれた。次女のシャヤンだ。物心ついた時からこの牧場の娘たちは乗馬を生活の一部として体得している。だから、家族全員が上級者なのだ。そして十四歳のシャヤンは、馬の上では完全に僕らを圧倒する高い技術を持っていた。

 

唇をすぼめて鋭く甲高いキッシング・ノイズを出すと、牧場唯一の白馬ダッチェスは彼女の思い通りに歩き始め、やがてゆっくりと馬場を一周、きれいな円を描いて走った。そのさまは、「軽やか」という言葉が一番しっくりくる。ストップするのも何もかも、お手本通りだ。

 

ひるがえって僕ら三人はと言えば、昨日の山での散策で一時間以上も歩いたり走ったりしたせいで、馬たちが自分の言いなりになると思っていた。でもそれは馬を誘導してくれるサムエルが前にいたからだった。いざ口で合図をしたり、両足のかかとでお腹をこつこつと叩いて歩き出すよう促しても、馬たちはうんともすんとも言わないのだ。

 

それが、シャヤンにかかるとあまりにもスムーズに言うことを聞く。僕は勝手に馬に乗れるような錯覚に陥っていたから、本当は何もできないことに少々がっかりした。

 

何度も腹を足で挟まれて、馬も気の毒だなと思うぐらい、「ウォーク」と叫びながら、僕は執拗に馬に合図を送った。少し歩いては止まるので、サムエルが見かねて初心者に慣れた馬に交換したり、いろいろしてくれた末、やっと歩き始めてくれた。シャヤンも一緒に僕らと馬場を回ってくれたとき、僕は何度か後ろにいるシャヤンに手綱の持ち方を軌道修正してもらった。

 

どうも引っ張りすぎているみたいなのだ。

第45話 闇夜でパンをかじったのは

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キッチンは共用、冷蔵庫はない。

 

 母屋で家族のみんなと二日目の夕食を済ませた僕は、また暖房のない寒い小屋の中で目のすぐ下あたりまで毛布に潜り込んだままぐっすり眠り、クリスマスイブの朝を迎えた。そのころには喉の痛みはすっかり消え、爽快な気分で隣の共有キッチンに出ようと部屋の扉を押し開けた。だけど何か様子が違う。

 

そのキッチンではガスコンロでお湯を沸かしてお茶を飲んだり、夜には軽食のパンを食べたりしていた。

前日に近くの売店――といっても納屋にカップラーメンとパンと水やせっけんなどが置いてある四畳ぐらいのスペースだが――で買った小ぶりなホームメイドの黒糖パンを三つ、虫が入らないように袋の口を縛って木製の棚のできるだけ高い段に置いておいた。

それがどうも動物の歯のようなもので破られ、中身がほじくり返されて、半分ぐらいに減っていたのだ。

 まず疑ったのは、いつもけたたましく牧場を歩き回っているニワトリたちだ。何せこのキッチンの窓にはガラスがなく、外との仕切りはあってないようなものなのだ。少々ジャンプの心得があるニワトリなら軽々乗り越えられる高さだ。しかも夜中の三時頃になると、朝だ朝だとうるさく叫び、せっかく寝ていても何度も起こされてしまうぐらい彼らは活動的なのだ。

でももし犯人がニワトリなら、僕が寝ている間に隣のキッチンでバサバサ羽音や鳴き声がしてきっと起きていたはずだ。

 とすると次に思いあたったのはネズミだ。夜中に物音で目が覚めなかったことや、袋についていた歯形から、どうもそのほうが可能性が高いと僕は思った。牧場にはたくさんの家畜がいる一方で、夜な夜な活動する野生動物もいるのだ。

冷蔵庫がないキッチンで外に置かれた食料は、間違いなく動物たちのごちそうに違いないのだから、放置した自分が悪いとひとしきり反省した。残骸となったパンを生ごみ入れのバケツに入れて蓋をし、破れたビニール袋はプラスチック専用の大きな麻袋に入れた。世界の中心に人間はいないし、いろんな生き物との関係性の中で僕らは生かしてもらっているのだ。