3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第2話 ギターの音色

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石壁のアパートに、乾いたギターの音が響き渡る


 

 それから幾月が経過した1月のある日、僕は自分の誕生日に大家さん家族とダニエルを招いて食事会を催した。僕は限られた材料で自分にできる和食をふるまった。親子丼を作ったように覚えている。

 その1週間ほど前、僕はオアハカの中心部にある市場の小さな楽器店でクラシックギターを買った。でもギターは憧れているだけで、別に弾けるわけではなかった。ただ、吸い込まれるようにして、メキシコ製のギターをどうしても欲しくなって買っただけだった。弾けるわけではなかったが、その楽器店でつま弾いたナイロン弦は、深いやさしい響きをしていた。

 

ダニエルは僕の家に来ると僕が弾けないのに僕がギターを持っているのを見て、

 

「ギターがあるんだな」

 

とうめくような低い声で言った。そして部屋に立てかけていたそれを手に取り、チューニングし始めた。ギターの場合、普通「音叉(おんさ)」という道具を使って基準の音である「ラ」を出して調律する。だけど彼は、頼りに音を必要としなかった。

 

「I Hear(聞こえるんだ)」

 

と言いながらあっという間にチューニングを終えた。もちろん僕がBGMにかけていた音楽は消すようにと言われたけれど。

 

そして、聞いたこともないオリジナルの曲をスペイン語や英語で歌い始めた。曲もいいが、それより驚いたのは、自分が市場で買っていたギターがなんとも深くきれいな音を出すことだった。柔らかく、温かくそれでいて華やかな音が自分のギターから出ているのを聞いて最高の気分になった。

 

「こいつはいいギターだ」

 

ダニエルは低い声でにやりとしながら言った。

 

その夜、つまり僕の誕生日が終わろうとしているそのとき、大家さんの家族も一人二人と自分の家に戻り始めた頃、ダニエルは僕に言った。

 

「シンジ。あんたが誕生日だってこと、今日まで知らなかったんだ。どうだい、ギターのレッスンをプレゼントするっていうのは。今度俺の部屋に来てくれ」

 

そう言って彼も僕のアパートを後にした。本当か。本当に彼は僕にギターを教えてくれようとしているのか。プロのミュージシャンが僕に思いがけないプレゼントを口約束した。その週末、僕は彼のアパートをギターを持って訪ねた。

 

第1話 ダニエル (「ダニエルからギターを習う」 初回)

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市場には郷土料理を食べさせる食堂がたくさんある。

 

「ダニエルからギターを習う」という連載を本日より開始します。

僕がメキシコに学生のときに出会ったミュージシャンからギターを習う話です。

 

 


 ダン・デル・サントというミュージシャンのことを知っている日本人はほとんどいない。ニューヨーク出身のイタリア系アメリカ人で、プロフェッショナルのギタリストでありシンガーソングライターだ。

 彼に出会ったのは僕が21歳の時だ。ちょうどメキシコのオアハカ州にアパートを借りてスペイン語を勉強していた頃で、1992年にさかのぼる。僕は大学を休学し、スペイン語を何とか現地で身につけようと、なるだけ日本人が集まらない田舎町で、しかもまあまあ大学なんかの教育機関がしっかりしているところを探して住み始めた。

 オアハカに行くには当時メキシコシティから10時間ほどバスに揺られ、山を越えて南へ下り、やっと着くような長い道のりだった。高速道路ができたから4時間で着く今でも、先住民の村が周囲に点在するせいで町全体に独特の色合いが広がり、静かだが華やかな趣がある。そんな独自の文化を求めて、90年代当時から欧米を中心に多くの外国人が観光したり、移住していた。移住していた外国人の多くは画家など何かしらのアートを生業としていた。そのほかには、寒い北米から温暖な気候を求めてやってきた年配の人たちが多くいた。

 

 メキシコならどこでも町の真ん中にあるソカロと呼ばれる公園があるが、僕はオアハカのソカロから3ブロック西へ歩いたとこにある、古いが、コロニアル調の風情が素敵な石造りの平屋の1室を間借りしていた。大家さんの家族が住む母屋と壁を隔てて隣にある部屋だった。

 通りに面した重くて大きな木製の門は固く閉じているが、一度開けると中には、通路があり、5世帯ほどがゆったり暮らせる家が敷地内に並んでいる。僕と大家さん家族のほかに、親戚の夫婦や長男夫婦の家があり、その2軒の間に僕と同じように間借りできるアパートがあった。そこに彼は住んでいた。僕のギターの師匠となるダニエルだ。彼が人前演奏したり、CDを出すときは「ダン・デル・サント」と名乗っている。

 あごひげがあり、黒い長髪を後ろでくくっている。低くしゃがれた声で、知り合った当時僕とは簡単な挨拶をする程度だった。大家さんからは、

 

「ニューヨークでDJをしていたアメリカ人だって。同じ敷地に住むからよろしくね」

 

と紹介された。

第64話 エバーグリーン牧場とゆかいな仲間たち(最終回)

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僕のパソコンの壁紙はこの旅の後から牧場の月夜になった

 

これがサン・イシドロ・チチウィスタンという村の、とある牧場で過ごした三泊四日の一部始終だ。

チアパス州奥地の森の中に、どうして遠いヨーロッパから人がやってくるのかと、最初は不思議に思ったが、今ではその理由がよく分かる。

 

「イタリアからメールが来てね、新年をここで過ごしたいって」

 

 ステファニーは僕がメキシコシティに帰る最終日の朝も、メールで入ったこの牧場のリピーターからの宿泊依頼に、あわただしく返答していた。

一度この場所を訪れた人にとってこの牧場は、まるで仲のいい親戚の家みたいにいつでも戻れる場所の一つになるのかもしれない。このイタリアの夫婦がたぶんそうだったように、やっぱり僕も「今度はいつ戻ってこられるのかな」、とかなり具体的なプランを思い浮かべながら帰路についた。

 

タクシーでサン・クリストバルに向かった僕は、そこから空港のあるトゥクストラ・グティエレスまでの大型長距離バスに乗り込んだ。

往きより少し余分にお金は使ったけれど、何とか当初の誓い通り安い交通手段を乗り継いだ僕は、旅行前に届いた牧場からの「挑戦状」に、勝手に勝利宣言をした。そして年末間近のメキシコシティの自宅に戻ってからも、エバーグリーン牧場で過ごした時間を、「ハレルヤ」のメロディを口ずさみながら思い出していた。

 

(おわり)

 

 

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エバーグリーン牧場とゆかいな仲間たち」の連載は以上で終了です。

長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

僕は彼らの回し物でも何でもありませんがエバーグリーン牧場のWebサイトのリンクはこちらです。

 

El Rancho Evergreen

 

 

吉川真司

手作りのオパールペンダントをデザイナーに発注してみた

お題「#買って良かった2020

 

2年前にメキシコのオパール鉱山を訪れたとき、試しに買っておいたルース(裸石)を机のひきだしから取り出したのは今年4月のことでした。

 

今住んでいるメキシコは、世界に3カ月ほど遅れて、コロナウィルス感染が徐々に拡大し始め、ロックダウンとはいかないまでも、極力家にいなさい、スーパーや食品関連企業、医療機関以外はほとんど閉めなさいと政府からお達しが出ました。

 

そのとき、頭に浮かんだのは以前にオーダーメイドジュエリーを作ってもらった銀細工を得意とするデザイナーのお店のことでした。当然彼女が持つ3つのお店はすべて一時的に閉じなくてはなりません。メキシコシティでも立地のよいショップたちはおそらく賃料もばかにならないでしょう。

 

僕は才能あふれる職人やデザイナーが好きで、いつも支援したいと思っていたのですかさず、連絡を取り、もし時間があるのならオパールのペンダントトップをメキシコ風のデザインで作ってほしい。金は前金で払うからと申し出ました。

 

「ありがとう。こんな時だからこそ、前を向いて進まないとね」

 

と早速家までバイク便で僕のオパールたちを引き取りにきました。

 

「デザインは、オリジナリティの高い、メキシコ独自のもの」という指定以外はすべて彼女に任せました。

 

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オアハカ出身のマリアナ・バランコ作のオリジナルペンダント

写真の通り、銀はメキシコ産で純度92.5%、オパールはメキシコ鉱山直買い付け。

そしてデザインはアルマジロ、蛇、遺跡の幾何学模様などをあしらった独特のペンダントができました。デザイナーはマリアナ・バランコという女性で、10代半ばまで先住民文化が今でも根付くオアハカという町で育ったせいで、独特のアレンジをしてくれます。

 

以前宝石商をかじっていたことがあるので、品質がしっかりしているか、石や銀が偽物でないかぐらいは分かるし、オリジナルデザインなのに制作費が安いことも満足できました。原価計算すると1点あたり1万円から2万円程度。使い道は未定です。お世話になった人で、メキシコ独自の1点ものを記念に日本に持って帰りたい人にプレゼントするかな。

第63話 故郷が一つ増えたみたいだ

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嬉々としてトラクターに乗り込む僕

三日間寝泊まりした「納屋風小屋」の裏まで、車を移動してもらっている間に、母屋からサムエルとステファニーと一緒に並んで歩いた。サムエルが最後に緑のトラクターに乗れと僕に言った。そして僕のカメラを手に取った。

 

「トラクターと牧場の記念撮影だ」

シャッターを何度も押し、僕にどうだと撮った写真を見せた。トラクターの上の僕は満足そうというよりは恥ずかしくて居心地の悪そうな表情をしている。そして僕らはお別れのハグをした。

 

「昨日の歌、素晴らしかったよ。今度はいいギターを俺が用意するから、他の歌も練習して聞かせてくれ」

 

 お世辞でもうれしい言葉に、僕は「了解、そうする」とだけ答えた。道路に面した牧場の柵の近くで、タクシーの運転手と話していたステファニーは、僕がサムエルと別れの挨拶を済ませたのを見て、僕のほうに笑顔を向けた。何となく照れくさそうな笑顔で、

 

「私たちテストに受かったかしら。今度は家族連れてきてくれるよね」

 

と笑いながら言った。

 

「もちろん合格だよ。今度家族と来るその時まで」

 

そうお別れのあいさつをして、僕はタクシーに乗り込んだ。車に乗るのがずいぶん久しぶりに感じた。 

 

エバーグリーン牧場を後にしてサン・クリストバルに向かうタクシーで、未舗装の道をゆっくりと走ると、往きと同じ「制限速度、時速二十キロ。スピードオーバーは罰金千ペソ(六千円)」と書かれた看板を急カーブや断崖と接する道で何度も見かけた。

タクシーは砂利道の小石たちを、往きと同じようにぺちぺちこんこんと跳ね飛ばしながらゆっくりと進んだ。珍しく後部座席に座った僕は、この土地で人と知り合い、愛着ができた村の風景を眺めていた。

サン・イシドロ・チチウィスタン村の集落もそろそろ出口に差し掛かり、家屋がまばらになってきたところで、なかなかに薄汚れた服を来た初老のおじさんが道に倒れているのを四人の男が囲んでいた。

 

「何かあったの?」

 

僕は運転手に聞いた。

 

「ああ、酔っ払いだよ。昨日はクリスマスイブだったしね」

 

二つ隣の村に住むタクシー運転手の青年は、なぜそんなことに興味があるのか不思議そうにしていた。

 

「そういえば昨日、この村の男が一人刑務所に入れられたらしいよ。女の子に乱暴しようとして取り押さえられたらしい」

 

僕はその時エバーグリーン牧場に到着した夜に聞いた、教会から響く大音量の説教を思い出した。

 

「酒を飲みすぎちゃあいかん。結婚したら他の女に手を出しちゃあいかん」

 

牧師のだみ声が、遮るものが何もない空に、号砲のように響いていた。この小さな村でも男が酒におぼれ、酔った勢いで女性にちょっかいを出して捕まるのであれば、牧師の説教も時には必要なのかもしれない。

ネオンテトラに救われた

お題「#買って良かった2020

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カラフルな「メダカ」、ネオンテトラ

外に出るな、人と距離を置け。

ここメキシコでそんな呼びかけがされ始めたのは今年の四月ごろです。

子供は学校に行かなくなり、僕自身も会社に行けない日々が続きました。

 

家の中で四六時中過ごすのが苦手な僕にはそれはストレスのたまる日々です。

そこで家族で話し合って購入したのが、観賞用の魚。

 

ある日曜日にマスク、フェイスシールドを完備した状態で近くにある熱帯魚屋さんに行きました。実はもともと探していたのは熱帯魚ではなく、メダカだったのですが、この国で売っているメダカは、どうも日本のような地味なオレンジ色ではなく、人工的に着色されたような緑や黒のものばかり。

 

そこで、同じぐらいの大きさで試しに買ってみたのがネオンテトラ

1匹25ペソ(130円ぐらい)でした。2匹飼ったのですが、1匹は数カ月して死んでしまいました。でも1匹残っていて、どうも一緒に年を越せそうです。

 

魚も臆病な方が長生きするのか、餌をやるとき以外は、人影が見えるだけで逃げ回るのですが、飼い始めた時の1.5倍ぐらいの大きさになりました。

 

「あれ、こんなにおおきかったっけ」

 

といつも思います。

でも、こいつのおかげで無味乾燥なリビングに、ほっとできるスペースができました。

暇になると、その前に座って、きれいなネオンカラーを眺めることができます。

 

今年の状況は、一つの時代の終わりと始まりを予感させるほどの大きなものだったけれど、魚一匹でこんなに気持ちが和らぐのかということも発見したのでした。

 

アイテムというと魚に失礼ですが・・・。

第62話 エバーグリーン式 タクシーのつかまえ方

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母屋の外にはいつもスクービーがいた

 

食事もすべて済ませ、ステファニーにタクシーを呼んでもらうよう頼んだ。

だけど、この宿がいつも声をかける隣村の運転手は、ボイスメッセージを送ってもいっこうに返事をしてこない。結構真面目なおじさんだと聞いていたが、ステファニーの見立てどおり、前夜のクリスマスイブでどの家もパーティをしていたはずで、ほとんどの村人はまだ起きていないのだろう。

仕方ないので前日のゲストだったドイツ人のセバスチアンに声をかけてくれることになった。その日彼が用事でサン・クリストバルまで行くので、そこに便乗してはどうかとステファニーから提案があったのだ。セバスチアンはその朝ドイツ人宿泊客三人をサン・クリストバルまで連れて行くというのだ。

 

ステファニーが携帯電話からボイスメッセージを送信し、返事を待つと、間もなくセバスチアンから返答があった。

 

「十時半でよければ、喜んで乗せていくよ」

 

だけど僕はいつでも出られるように、もう身支度を済ませていたので、これから一時間も待つ気はなかった。

ああだこうだと二人で考えていたら、思い立ったようにステファニーが外に出て行き、間もなく母屋の裏でタクシーを捕まえて戻ってきた。牧場の脇の道でタクシーを止めることにまんまと成功したようだ。

たまたまその運転手はサン・イシドロ村まで乗客を乗せてサン・クリストバルから来たところで、誰も乗せずに回送するところだった。だから、料金だって二百ペソ(千二百円)で、サン・クリストバルまでダイレクトに向かってくれる。乗り合いタクシーを乗り継いだ往きより当然少し高い。だけど一番近いベタニア村まで一人でタクシーに乗ると百五十ペソかかるのだから、相場よりはだいぶ安い。

僕はそのタクシーに乗ってサン・クリストバルを目指すことを即決した。これを逃すと今度いつどこで車を捕まえられるか分からない。何しろクリスマスなのだ。

娘たちシャヤンやゾエ、それにクリスティーナおばさんはまだ寝ているみたいだし、三日間一緒に乗馬を練習したバーニャやデイビッド、特別ゲストのイギリス人マットとも挨拶はできなかった。だけどまあ、いつかどこかで会える日がきっと来るに違いない。