3泊4日で旅に出る会社員の旅ブログ

会社員でも旅に出たいをテーマに、サラリーマンの吉川が、駐在するメキシコを中心に旅した記録をつづります。チアパス州の奥地にあるエバーグリーン牧場を舞台に繰り広げられる人や動物との出会いが第1作目です。

第58話 別れる、別れない?

 

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もはや僕にとってホストファミリーとなったステファニー家族

そして二曲目はマルコ・アントニオ・ソリスというメキシコ人歌手の「トゥ・カルセル」を選んだ。二十年以上も前の曲だけど、メキシコで大ヒットした曲は、いつまでもラジオで流れ続けるから世代を超えて愛されている。この曲もその一つだ。

 

Te vas amor, si así lo quieres qué voy a hacer

(やっぱりいってしまうんだね、だったら僕には何もできない)

Tu vanidad no te deja entender

(見栄っ張りの君には分からない)

Que en la pobreza se sabe querer

(貧しくても好きなら関係ないということを)

Quiero llorar, y me destroza que pienses así

(そんな風に君が思っているなんて悲しくて泣きそうになる)

Y más que ahora me quede sin tí

(そして君がいなくなる今、もっと)

Me duele lo que tu vas a querer

(君がこれからどんなことを求めるだろうって考えると心が痛む)

Pero recuerda, nadie es perfecto y tu lo verás

(でも覚えておいてほしい、完璧な人なんていないし、それが分かる時が来るということを)

Tal vez mil cosas mejores tendrás

(これから無数の素敵なことに出会うかもしれない)

Pero un cariño sincero jamás

(でも真剣に愛されることなんてもう一生ないんだ)

 

貧しい主人公を見放して、金持ちに乗り換える元彼女への気持ち(未練と恨み言ですね)を歌った、メキシコの定番ラブソングだ。

僕がこの曲を選ぶのは、内容が好きとかそういう純粋な理由ではなく、歌うときに使う声域が狭いから、素人の僕にも歌いやすいという技術的な理由による。

 

それにしても本当にメキシコには「別れる」、「別れない」をテーマにした曲が多い。僕がこの曲を歌っている間、知っている人は一緒に歌ってくれた。なぜかこの曲は絶対知らないはずのアメリカ人のデイビッドも、隣から僕の歌詞カードをのぞいて楽しそうに歌っていた。

こんなに喜んでくれるなら、もっと曲を仕込んでおけばよかったと僕は少し後悔した。歌詞が覚えられないという最大の弱点を抱えた僕は、コード進行と歌詞を見ながらでないと一曲も歌えない。

なんだかもう一曲歌った方が盛り上がりそうだったので、勢いに任せて「ユアー・マイ・サンシャイン」を適当に伴奏しながら歌い始めた。ずいぶん短い歌詞なのに、やっぱり二番に入ると歌詞が出てこなかったので、ハミングでやり過ごしていると、代わりにみんなが大声で歌ってくれた。

 

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第57話 見上げてごらん 夜の星を

 

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丸太で作られた長いテーブルの全席が埋まった

みんなが注目して静まりかえる中、僕は坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を一曲目に歌うことにした。オリジナルバージョンはほとんど聞いたことがないのだけれど、平井堅がカバーしているのを聞いて、自分でも歌うようになった曲だ。

 

「この曲は、日本で一九六〇年代にヒットした曲で、夜空の星が僕らの小さな幸せを照らすということがテーマになっている。ここの夜空の星が曲のイメージにぴったりだし」

 

 その場で日本語が分かるのは僕だけだから、そんな風に英語で少し解説してからギターを弾き始めた。

 

見上げてごらん、夜の星を

小さな星の、小さな光が

ささやかな幸せを、歌ってる

見上げてごらん、夜の星を

僕らのように、名もない星が

ささやかな幸せを、祈ってる

 

 

別に僕は歌手でもなんでもないけれど、機会があればできるだけ人前でも歌うことにしている。特に多少下手でも盛り上げてくれるのが分かっている場合はなおさらだ。

その夜はすでにワインで酔っていたこともあり、ずいぶん気持ちよく、そして間違わずに歌えたのだ。日本語だから誰も一緒には歌わなかったけれど、どうやら僕が弾き語りするとは誰も思っていなかったみたいで、曲が終わると机をたたいて大歓声が巻き起こった。

 

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第56話 DJ サムエルからアナウンスを受けて

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巻きずしは子供たちがあっという間に平らげた

 辺りが暗くなり始めた頃、「メリークリスマス」という乾杯でディナーは始まった。すでにワインを飲みながら準備をしていたので、がやがやとにぎやかだ。クリスティーナは英語が話せないし、サムエルのスペイン語はかなりブロークンだ。だから間にステファニーやその娘たちが入って、フランス語を含めた三言語が混ざり合う、まさに言葉のボーダレス状態に入った。

子供たちは運動会のかけっこの号砲が鳴ったときみたいな勢いで、寿司の奪い合いを始め、皆に用意されたお箸――なぜかきれいな日本の塗り箸が用意されていた――で、鼻息荒くほおばっている。

あっという間に二枚の皿からは少し形のゆがんだ巻き寿司が姿を消した。それにしてもそこにいた全員がお寿司だけでなく、バーニャが作ったサラダなんかもお箸で器用に食べているのが不思議だった。

 この日の招待客の一人、ドイツ人のセバスチアンも、ヨーロッパからやってきてこの土地が気に入り住み着いた一人だ。民宿をメキシコ人の奥さんのジュリディアと営みながら、幼稚園児の息子と娘、それに男の子の赤ちゃんと一緒に生活している。

ハンチングハットをかぶり、相当にしっかりした一眼ガンレフのカメラでパーティの様子を写真に収めている。奥さんはなぜかフランス語を流ちょうに話していたが、持ち寄った揚げタコスは正真正銘の伝統的メキシコ料理だった。

 

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なぜかお箸が人数分用意されていた

かかっている音楽はクイーンのボヘミアン・ラプソディなど勢いのいい曲を中心に、七十年代の洋楽がランダムにかかっている。この日のDJサムエルは五十八歳、ちょうど僕の十歳年上だが、音楽の趣味で余計に世代が分かる。

 皿の上の食事がひと段落してきたところで、突然サムエルがみんなに向かってコールした。

 

「シニジがギターを弾くって聞いたんだ。ちょっと弾いてもらおうや」

 

どうやらデイビッドがサムエルに、僕らがそれぞれ歌を披露するつもりだと伝えていたみたいだ。

まだ本名の「シンジ」ではなく「シニジ」とサムエルに呼ばれている僕は、コード進行つき自作弾き語り用歌詞カードを母屋に二枚だけ持ってきていた。ギターはデイビッドがちゃんと持ってきている。夕方に共有キッチンを急づくりのスタジオにして、二人で打ち合わせは済ませている。コードをいくつか試したが、チューニングはばっちり合っている。

 

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第55話 持ち寄りでがやがやと準備が進んでいく

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パーティーは持ち寄りでがやがやと準備が進んでいった

 

ところでイギリス人のマットはゾエやシャヤンのことを小さな時から知っているお兄さんだ。ユカタン半島カンクンから南に一時間ほど南下したところにある、トゥルムという小さなビーチリゾートに住んでいる。そこには小さくておしゃれなリゾートホテルがたくさんあって、そんなホテルに飾るように等身大から大きなもので五メートルもある木彫り作品を納品している。オブジェのモチーフは様々で、人魚だったり、熱帯に生息する鳥だったり、猿だったりする。

 

「本当はチアパスに住みたいけど、僕の作品が売れるのはトゥルムみたいなちょっと風変わりなリゾート地だったりする。だからまだ、しばらくはあそこで仕事をしようと思う」

 

 マットはチアパスでステファニーたちと何年も一緒に生活を共にしたことがある、いわば親戚みたいなものだけれど、家族の事情で一度イギリスに戻った。でもやっぱりメキシコが好きで、また生活のベースをこの国に戻したという経歴の持ち主だ。

 

「いつかは、またチアパスに来てこの家族の近くに住めればいいと思っている」

 

 イギリスにはない、ワイルドで温かい魅力がどうしてもマットを引き付けているようだ。

 

長女で十六歳のゾエは、大人チームの会話に混ざっている。ゾエやマットとおしゃべりしていると、やがて日本のアニメのことが話題になった。「日本と言えば」と自然にジブリの映画の話になり、「千と千尋の神隠し」が好きだとか、いや「トトロ」がキュートだとか、二人が自分のお気に入りの宮崎作品について熱弁し始めた。彼らのほうが詳しいから、僕は初期の「ナウシカ」をお勧めするぐらいしかできなかった。

ここ十年そこらで、日本人や日本文化に対しての世界中の人の見る目がちょっと変わってきたようだ。例えばクリスティーナはリヨンで日本人留学生を下宿させ、世話を焼くのが大好きだ。このディナーのメインディッシュは巻き寿司だったりするし。

 僕がオアハカに留学していた二十五年前には、インターネットなんかなく、メキシコ人が知っている日本語は「芸者」、「侍」、「腹切り」、「空手」が代表的だった。マニアックなメキシコ人がやっと「忍者」という言葉を知っていたぐらいだ。

近所の子供たちは、僕を見ると空手でやっつけられると勝手に恐れて逃げ回っていた。日本のアニメと言えば、当時「アルプスの少女ハイジ」がテレビで流れていた。今はメキシコ人に会うと「ドラゴンボール」や「キャプテン翼」などのクラシックなアニメシリーズはほとんどの人が知っている。

メキシコでテレビ放映されていなくても、インターネットの普及のおかげで、日本でリアルタイムで観られているアニメが、スペイン語の字幕付きで見ることができる。そしてそこに登場する主人公や登場人物をマニアックに愛する人に出会うようになった。Jポップも人気で、十代の男の子が「いきものがかり」のファンだったりする。そして特に日本びいきというわけでもない人たちも、日本料理は寿司やてんぷらだけでなく、案外多彩だということに気づき始めている。

第54話 クリスマスツリー点灯

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森にはいくらでもクリスマスツリーになりそうな木が並んでいる

母屋のキッチン兼食卓の周りには、久しぶりに会った友達同士の近況や初対面のあいさつで、華やいだ空気が充満している。

松ぼっくりに娘たちが色を塗って作った飾りを、そこらへんでサムエルが切ってきた、樅木っぽい木の周りに置いて立派なツリーができ上がった。その根元に僕はさっき山道で拾ってきた大きな松ぼっくりを五つ黙ってそっと並べた。

サムエルがブルーのイルミネーションライトを手早く木の周りに巻く。準備を進めながらそれぞれが自分の好きなワインを持ち寄り、グラスを片手に語り合う。僕は前日までサン・クリストバルにいたクリスティーナおばさんに、チリ産のシラーを持ってきてもらっていた。ステファニーが連絡してくれたのだ。でも誰がどのワインを飲んでも、もはや構わなかった。会話はあちらこちらに話題が飛んでいく。

 

「この子たち、『親は何している人?』って聞かれたら、『ヒッピーです』って答えるの」

 

 ステファニーはゾエやシャヤンがいる前でそう言って大笑いした。確かに彼らがヒッピーみたいだったのはだいたい想像がつく。子供たちはそんな親を面白おかしく形容するが、その裏にはいつも尊敬の念が見え隠れする。こんな素敵な家族が生まれるなら、ヒッピーが多少増えるのもいい。

 

次女のシャヤンは、セバスチアン夫婦が連れてきた子供たちの面倒を見ている。赤ちゃんの時から知っているから、子供たちはシャヤンのことを親戚のお姉さんみたいに慕っているのがよく分かる。

僕はその時シャヤンがスペイン語で三歳と五歳の子供たちに大きな声で「ほら、外行くわよ」と言っているのを聞いた。

 

僕とはなぜか英語で話していたので、なんだ、普通にメキシコの子供みたいに話せるんじゃないかと安心した。そして母屋の外の芝生でキャーキャー言いながら駆けまわっているのを見て、今まで大人っぽく見えていたシャヤンがまだ結構幼いところもあるんだなと発見した。

第53話 巻き寿司はいかが

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キッチンには地元の野菜や果物が無造作に並んでいた

僕は鉄鍋にざるで洗ったお米と水を入れ、コンロの火をつけた。鍋とふたには微妙な隙間があって、ぴったりとはまらず、蒸気が予想以上に漏れ始めた。だからステファニーと相談して、蒸気が出ているところに濡れ布巾を上からかけることにした。幸い蓋がガラス製なので中の様子はよく見える。

水気が飛んで湯気が徐々に出なくなり、ぐつぐつという音も聞こえなくなったところで火を消す。ここまでくれば、ほぼできたも同然だ。

 

「お米はこのまま蓋をして、最低三十分はおいておく。そうすればさらに蒸されて、お米が柔らかくふっくらしてくるから」

 

そうステファニーに言うと、

 

「これが秘密だったのね。蓋を開けないこと、水の量をお米の一・五倍にすること、それから最後に蒸らすこと」

 

ずいぶん飲み込みがいいなあと思ったが、よく考えると彼女はこの牧場のシェフでもあるのだ。本当は素人の自分が偉そうに料理を語るような相手ではない。こうして炊けたお米は日本の食卓に並べても、まあご飯だねと言えるレベルに何とか落ち着いた。ステファニーは巻き寿司用に竹製の「巻きす」も用意していた。

僕は長方形のガラス製耐熱皿に、薄くご飯をしきつめて、寿司酢をしゃばしゃばとふりかけた。そしてなぜかこの家にあった白い扇子でステファニーと交代で風を送って酢飯を用意した。

 具はフィラデルフィアチーズとほうれん草とツナマヨが用意されていた。海苔の上にお米を広げ、具を並べてから、巻きすでロールさせるまではよかったが、困ったのは切れる包丁がなかったことだ。用意されていた錆のついたペティナイフは切れ味が悪く、海苔とご飯が刃にくっついてうまく輪切りできない。

でもそれを見ていたイギリス人のマットが、途中でもう少し大きなナイフを見つけてきてくれて、何とか巻き寿司らしきものが二皿分できた。近くでサラダを作っていたスリランカアメリカ人のバーニャが、目をきらきらさせながら、近づいてきた。

 

「お寿司食べるの超久しぶり、わくわくするわ」

 

そう僕にささやいた。サンフランシスコできっと寿司を食べたことがある彼女は、メキシコ人よりずっと寿司に対しての目が厳しいに違いなかった。だけどえせ日本食料理人代表としての任務はほぼ終わりつつあったので、もうそんな言葉もプレッシャーに感じない。

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包丁が切れないことがこんなにつらいと初めて知った


むしろどんなもんだいという感じである。

第52話 パーティーが始まろうとしている

 

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キッチンではかわるがわるシェフが登場する


その日の夕方、まだ日が暮れる前なのに、パーティの準備で母屋はにわかに活気であふれていた。台所ではこの村の人口密度が局所的に史上最高を記録していたに違いない。

 

クリスティーナおばさんを含めた牧場の家族五人。それに前日から泊まりに来ていた、イギリス人木彫りアーティストのマットは、この家族と十八年の付き合いで、ゾエやシャヤンのことも小さなときから知っている。

 

近くで民宿を営むドイツ人のセバスチアンとメキシコ人の奥さんジュリディア、そしてその小さな子供たち三人。バーニャ、デイビッドと僕の宿泊客三人組。それぞれが交代で台所を使い、サラダを作り、持参した料理を食卓に並べていた。

 

僕がチェペやアベルとの散歩から戻ったのを知ると、ステファニーはすかさず手伝ってほしいと声をかけてきた。それまで何も聞かされていなかったが、巻き寿司を作るつもりらしく、結局日本代表選手として代わりに僕が料理することになった。僕がいなくても彼女は海苔、お米(カリフォルニア米)、すし酢など、材料をすべてそろえて本気で自分で作ろうとしていた。

 

「私が炊くとお米がパラパラになるのよ」

 

と言いながら、コツを教えろとやり方を聞いてくる。こんなとき、少々料理の経験があることは役に立つ。家でたまに寿司を作ることがあるが、エバーグリーン牧場には当然炊飯器なんてない。

 

だけど学生時代に鍋で米を炊いたことはよくあったし、やかんでおいしいご飯を炊く先輩の不思議な技も見ていた。ポイントは水を多めに入れて、最初から最後まで蓋を取らないことだ。

 

「中の様子が分からないから開けたくなるのが人情だけど、とにかく蓋を取らないで。我慢して蒸気を逃がさないことだよ」

 

えらそうに言いながら、実は初めて使う他人の台所で、鍋もコンロの火力も違う中本当にうまくいくのかと不安がよぎっていた。責任の重さがだんだん肩にのしかかってくる。どうやら年に一度のゲストを招いた晩餐に、メインディッシュの一つとして、巻き寿司を出そうと本気で考えているらしいのだ。いや、もしかしたら日本人が泊まりに来ると知って、手伝わせてやろうと前々から考えていたのかもしれない。